【心呼吸】#12 歌声/蛭ヶ岳

50歳になった。
凸凹人生、やっとここまで来れた、という感覚だった。
私はずっと生きづらかった。いつも心の奥に言いようもない寂しさが付き纏い、その正体が分からず、困っていた。いったんその正体不明の寂しさが暴れ出すと、自分でも手に負えず、ただひたすら泣いて布団の中に閉じこもり、時には人にそれをぶつけ、相手を傷つけ、そして傷つけたことと、孤独に耐えられず、朝まで途方に暮れるしかなかった。

自分には家族も友人も、仲間も、住む家も仕事もあるのに、どうしてこんな気持ちになるのだろう。泣き腫らして眠れぬ夜を過ごした翌朝、カーテンの隙間から差し込む光を感じ、壁に映し出され揺らぐ影を見ると、それでも弱々しく気持ちは立て直した。

またなんとか起き上がることができた、、。

朝になると、寂しさは、きっと気のせい、ホルモンか何かのせい、そう思って忘れることができた。そうやって私は自分の中に生まれては消え、生まれては消えを繰り返し、でも決して立ち去ってはくれない寂しさの正体を突き止める事ができず、たまたま靴のソールの溝に入り込んでしまった何かの種のように、仕方なく一緒に歩いてきた。

誕生日だった11月、蛭ヶ岳に行こうよと友人が誘ってくれた。紅葉はもう終わっているかもしれないけれど、前々から歩いてみたいと思っていた。彼女のホームマウンテンだと聞いて、それならばどんな季節でも行ってみたい!そう思った。

11月は、どこか自分らしくて好きな季節だ。
夏の喧騒と暑さが和らぎ、辺りは賑やかだった音が急速に静まり返り、時が止まったように感じる。力強く自らの存在をアピールしていた太陽の光は、気力を落としたように弱まり、小さく微かに揺らぐ。そんな季節がやってくると、なんとも言えずほっとする。

まだぎりぎりキャンプシーズンの賑わいを感じる四尾連湖のほとりから歩き始めると、落ち葉が一面に敷き詰められた道が続く。友人が朴の木の枯葉を拾い、小さな穴の向こうを覗いている。彼女のまんまるな瞳がきらりと潤む。それをファインダー越しに眺めながら、なんて可愛い女性(ひと)なんだろうと思う。



途中、小さな尾根とも言えないような細く、短い吊り橋のような道が出てきた。ここは彼女のお気に入りだという。名前もなく、有名スポットでもない、ひとつの道を好きだと教えてくてた時、子供のころに、一緒に秘密基地を作った友達との間に生まれるような、特別な感情を覚えた。



山頂に辿り着き、簡単にお昼ごはんを済ませ、ほっと一息ついていると、突然彼女が蝋燭を一本立てたショートケーキを差し出してきた。いつの間にそんな準備をしてくれていたのだろう。信じられないことに、まったく気がついていなかった。気がつくと、マジシャンのような彼女に、自分でも思いがけず「歌って!」と口走ってしまっていた。

山の中とは言え、周囲には人もいる。そんな中でなんてわがままを言ってしまったんだろう!ハッとした時には、時すでに遅し。鳥の嘴のように可愛く唇を尖らせ、囁くように、人差し指を口元で小さく揺らしながら、彼女は Happy Birthday to youー Happy Birthday to youー Happy Birthday Dear みおりん と歌ってくれていた。私は細長くゆらゆら揺れる火にふうっと息を吹きかけた。誰かに「歌って」と無意識にせがんだ自分に驚くと同時に、まったく躊躇することなく彼女が歌ってくれたことがとても嬉しかった。自分の中の言いようもない寂しさが、ずっとしまい込んでいた「歌って!」と、その歌声に救い出されたような気がした。

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「私って気が利かないから」
かつて大切な友人に何の気なしにそう伝えると、「それは本当のあなたじゃなくて、自分以外の他人が勝手に決めたあなたで、思い込みかもしれないよ。」笑って返事が返って来ると思ったら、真顔でそう言われたことがある。
その時は、心底驚いた。
私は、人から言われたその言葉が、それが生まれ育った家族に繰り返し何度も言われた言葉だったが故に、たった一つの真実だと長年本気で思い込んできたのだ。彼にそう言われて、その時はじめて、本当に初めて、そのことに気がついたのだから。

幼かった頃の私は、どうしても母の愛を感じたくて、いつも何かに忙しい母にこっちを見て欲しくて、母の喜ぶ私、母の話を聞く私、母に迷惑をかけない私を演じ始めた。全くの無意識で。大人になったとき、母を亡くしたとき、どうやって歩いたらいいか全く分からなくなって、道に迷い込んでいる自分がいた。

山の中にいる自分は剥き出しの自分だ。情けなくて、頼りなくて、愚痴だらけで、歪で、感激屋で涙もろい。前にも後ろにも誰もいない時、風に吹かれながら、少しドギマギしながら、一人歌ってみる。そんな時の自分は、まるで幼い頃の自分だ。

生きることに、なんらかの意味を探し、正解不正解をついつい考えてしまう脳みそは、いつも忙しく騒がしい。時に自分が無力に思えてしまうけれど、突然この世に生み落とされた命は、自分の為とか、誰かの為とか考える間もなく始まってしまう。空から鳥が運んできた種がこぼれ落ち、自分という身体を借りてこの地球に芽を出したのかもしれない。地球上で小さな灯火を揺らすたくさんの命の一つである自分。命でしかない自分。そう思えば、揺らぎながら、これからも力尽きるまで歩き続けるしかない。最後は落ち葉となって、朽ちたなら、また誰かの芽を育む養分となれるかもしれない。生まれた時の自分に戻っていくような感覚の50歳の今、諦めのような、希望のような気持ちを引っ提げて、また山に登りたい。命のひとつとして。
白倉美織

Author 白倉美織

八ヶ岳南麓暮らし。山と写真と読書、ときどき美味しいものがあれば幸せ。 Instagram

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