2024年も、もう11月だというから驚きだ。登山を始めてから5年ちょっと経つけれど、今年はあまり登らなかったように思う。体力はないけれど、健康だけが取り柄だと思ってた自分が、5月に開腹手術を受けた。振り返ってみると、数年前からの腰の痛み(左だけ。ギックリ腰だと思っていた)とか、お腹がやけに出てきたとか(中年太りかと思っていた!)とか、身体からのシグナルは出ていたのだけれど、自分に限って病気な筈はないと思い込み、調べようともしなかった。けれど去年の末くらいから、日常生活でもお腹が痛い、足の付け根が痛い、腰が痛い、背中が痛い、、オマケにお腹が一部だけポッコリと出ている、と次々と現れる不調に、これは何かあるなと、重い腰を上げて病院に行ったら、あれよあれよと手術ですね、という話になってしまった。お医者さんから最初に言われた日程は娘の高校の入学式にドンピシャに被っていたので、無理を言って一ヶ月延ばしてもらった。どうせ延ばすなら二週間も一ヶ月も変わらないからいいよ、と呆れた先生は笑って許してくれた。傷口にウェストベルトが当たらないかとか、いつになったら登れるかとかばかり質問する私に、病院の先生や看護師さんたちは、しきりに退院後も登山できるように気にしてくださった。
人生初の全身麻酔&お腹を15cmパックリ切るという経験をし、一ヶ月の療養をした。ギックリ腰体質だと思っていた腰は全く痛くなくなり、傷口の痛みも徐々に治っていき、穏やかな日々を過ごすことができていたけれど、夏山を迎える季節だけに、山に行きたい想いは強まって行った。いつもは沢入から登っていた入笠山に初めてゴンドラで行き山野草を愛でたり、ニッコウキスゲの咲き乱れる飯盛山に行ったりして、少しずつ勘を取り戻すつもりだったが、元々が家から一歩も出なくても平気なインドア体質の為、身体を動かさなくなると、山への想いまで徐々に重くなっていき、お天道様に気持ちを見透かされるように、山の計画を立てても見事に雨が降った。
そんな日々の中でも、山の先輩がいつも私を山に誘ってくれた。その時々の体調や体力を考慮してくれながら行く山やコースを決めてくれ、9月には木曽駒ヶ岳でのテント泊もなんとかできた。それでも、気持ちは山に行きたいと思う反面、いざとなると身体が動かない、そんな状態だ。動かなくなることによって、ますます身体は重くなり、重量もちゃんと増えた。無理に行くものでもないし、心が素直に行きたいと思う時に行けばいい。だんだんとそう思うようになり、山から離れ、街に繰り出したり、海に行ったりしてみた。
11月に入り先輩が杓子山に誘ってくれた。天気の良い秋晴れの日。誕生日月ということもあるし、柔らかくなっていく光がとても美しくなるこの季節がとても好きだ。病気をし、様々な検査をしても悪性の疑いがスッキリとは晴れず、もしかしたら余命一年の病気の可能性もあると言われ、一度は覚悟したこともあり、どうしても今までの人生を振り返ってしまう月日だった。時々一緒に山に行ったり、遊んだりしてくれる2、30代の若い友人たちがいて、彼女たちを見ていると、ついこないだまで私もこんな感じだったような気がしてしまうが(錯覚!)、必死に走っているうちに、あと一年で50歳という年齢になっていた!!白髪は猛スピードで増え続け、チャームポイントだと信じている笑い皺は刻み込まれ始め、もう戻らなくなった。来年で長男は成人式を迎える。人生って思うよりもずっとあっという間なのかもしれない、初めてそう感じた。
杓子山は不動湯の駐車場からスタート。山を切り拓いた登山口がシュールだったけれど、振り返るとドドン!と大きな富士山が鎮座し、分かりやすく感動した。どこの山に行っても探してしまう富士山はやっぱりシンボリックで魅了されてしまう。登山道は殆どが広くて平らな林道とあって、周りの人はスニーカー、Gパン、皮のリュックといういでたちの人が多く見受けられ、怪我なく登れるかなと勝手に心配してしまったが、山頂までの最後の40分は立派な登山だった。使っていない脚は重くて、想像よりもずっと暖かかった日差しで汗が滲んだ。
いつもより更にゆっくり歩いて、お昼過ぎに山頂に着いた時には、富士山の近くに雲が少しずつにじり寄って来ていたけれど、特等席を譲ってくれた方のご厚意により、真前に富士山という贅沢な場所でお昼ご飯食べながらのんびりとした。
前日に富士山は統計開始以来、最も遅い初冠雪というニュースが流れたが、雪の姿は全く目視できなかった。風もほとんどなく、ぽかぽかとした山頂はいつの間にか誰もいなくなり、やっと白くなった北アルプスや南アルプス、八ヶ岳などをはじめ、山中湖や富士急ハイランドなどを確認しながら360度のパノラマビューを堪能していたら、いつの間にか眠くなってしまいそうになった。
下山は大好きな黄葉の中、キラキラと乱反射する光に吸い込まれるように、頭の中はどんどんと真っ白になっていた。最も登山に夢中になっていた頃は、子どもの不登校なども重なって、山にいても頭の中は常にごちゃごちゃだった。登山はそのごちゃごちゃを整える時間だったというのは言い訳で、今思うと単に現実を忘れたかっただけだった。子どもの頃から悩みがちで、常に煩かった頭の中は、この頃少しずつ静かになってきた。加齢と共に忘却機能が発揮されていることもあるし、病気をした事で「捉え直し」をしたからかもしれない。心理学、哲学、宇宙的観点、宗教、スピリチュアル、様々な人の人生論、色んな本も読んでみたりもしたけれど、結局は心と身体は連結していて、見事に素直に反応を示すから、それを無視せず、心地の良い方へ向かうのが一番良い、というが現時点での答え。それもまた変わっていくかもしれないけれど。
夏はアルプス、冬は雪山、とついついそちら側に目が行きがちだったけれど、低山がよい季節だよね、と誘ってくれる先輩。目の前を常に凛とした姿勢で歩みを進める彼女が自然の中に包まれる姿は美しくて、これからもファインダーに収めたいと思う。その為にもゆっくりでも歩みは止めないでいたい。