緑ヶ丘は母が生前お世話になった診療所がある。1歳の息子を抱えながら、余命1か月を宣告された母を山梨に呼び寄せ過ごした思い出が交錯する場所だ。その年の2月に父が膵臓癌で亡くなり、10月に母がスキルス胃癌で亡くなった後、しばらくは二人の思い出の残る場所には行くことができなかった。緑ヶ丘公園に足を踏み入れたのはとても久しぶりだった。
息子が1歳の時に彼らは亡くなったので、いつも息子の年齢から1を引いて、何年経ったのか計算している。今19歳になった息子がいる。ということは18年が経過したのだ。生まれたての赤ちゃんが成人するまでの時間だ。悲しみは時に怒りとなり、いつの間にか誰にも優しくなれなくなっていた当時の私に言ってあげたい。大丈夫、ちゃんといつか立てる日がやってくるよ。柔らかな空気を感じ取れる日が来るよ。随分と時間はかかるけれど、優しさに気がつける日が来るよと。
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湯村山に向かって歩き始めると、ほどなくして後ろから年配の男性がガサゴソと音を立てて追いついた。「この山にはね、『寺』っていう文字が彫られた岩が13個あるんだよ」そう彼は言った。突然現れたその方(仮で泉さんと呼ぼう)に驚いたけれど、泉さんはお構いなしについてきてと言わんばかり。私たちは訳も分からぬまま、泉さんについていく。泉さん曰く、麓にある法泉寺の敷地を示す為に昔彫られたものじゃないかと言うことだ。
いつの間にかオリエンテーリングをやっているような気分で泉さんとの文字岩探しをしているうちに湯村山の山頂付近に辿り着いた。ベンチがあり、そこには泉さんのいつものお仲間が数人座って休憩していた。
「今ね、この方たちにね寺の岩を教えながら歩いてきただよ。」
「あーあれね11個あるんだよね」
あれ?13個じゃなかったんでしたっけ?
どうも彫られた文字は寺だけではなく、他にも「奥村」や「竹庄」などがあるようだった。泉さんに出逢えたお陰で思ってもみなかった楽しい時間を過ごすことができた。
「もうこの歳だもの、前を向いて生きていかなきゃじゃない。」にこやかに笑った彼女はとても肌がつやつやしていて、素敵だった。私ももしおばあちゃんになれるなら、そんな風に言っていたい。彼女もほぼ毎日この山を登っていると言っていた。途中から降り出した雨の中、滑りそうな木の根っこがある急な坂道をひょいひょいと下っていった。