【心呼吸】#07 あの日の続き/白駒池

大雪予報が出ていた先日、実に七週間ぶりに山へと向かった。十年以上前に仕事で腰をおかしくしてから、すっかり持病のようになっている腰痛が久しぶりに発動してしまい、冬に入ったタイミングで本にのめり込み、三日に一冊ほどのペースで座りっぱなしで読書をしていたら、腰痛を治すということさえ忘れてしまっていた。その間に三度山の予定が流れた。私の腰痛に加わり、いずれも同伴者が数年ぶりに風邪をひいたとか、コロナになったとか、どこも大雨予報で中止になったとか(彼とは何度約束しても雨で中止になるので彦星と呼ぶことにした)などなど、当分の間山はお預けと山の神様から告げられているような仕方のない理由ばかりだった。

久しぶりの山は、冬季通行止めになっている国道299号線を通り、白駒池まで歩くことにした。いつも私の知らない世界をたくさん提案、教えてくれる山の先輩のお気に入りのコースだ。ふむふむ、久しぶりだし、冬の凍結した白駒池まで、いつもは車で通り抜けるメルヘン街道を歩いてみたいと思い即決だった。

その日はお昼から雪予報だったけれど、朝からとても暖かくて、歩き始めの車道もところどころ黒いアスファルトが顔を出していた。例年ならガードレールもすっぽり雪で隠れるくらいの積雪量だが、今年の冬は気味が悪いほど暖かい。

除雪車のタイヤの痕が硬くなった箱詰めの赤福みたいでボコボコしていて、思いの外歩きにくかった。車道から見える樹々には雪がない。ほんのちょっと物足りなさを感じながら、久しぶりの山と、久しぶりの対面にずっと喋りながら歩いた。

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通っていた高校には学校から100km以上を二日間かけて歩くウォークラリーという行事があった。夕方暗くなるまで歩き、どこかの学校の体育館で雑魚寝して、翌日また歩くというなかなか過酷な行事だった。毎年コースは変わるのだが、一年生の時は、マメのできた足を引きずりながら800mちょっとの百名山を越える(歩くのは登山道ではなく車道)、トータル130kmの道のりだった。学校はこの行事の為に、車のライトに反射しやすいようにとクリーム色のジャージを作ったくらい気合いが入っていた。

運動嫌い、歩くの嫌い、団体行動苦手だった私には三重苦。なんとか歩き切ったものの、翌日は全身筋肉痛でソファから一歩も動けず、母を召使いのように使い丸一日をそこで過ごし、トイレだけはどうしようもないので、文字通り床を這いつくばって行った。二年生の時は友達と結託して33km地点でもうダメですと言って途中棄権。三年生の時はいよいよサボることにした。高校の真裏に家があった私は、みんなが出発する様子を背後に感じながら後ろめたさでいっぱいだった。何の訴えもないサボタージュだった。

山を登っている時、どうしてもこの二年目と三年目が頭を霞む。歩くということに何の魅力があるのか分からなかった当時の自分。あれを歩き切ったら立派な大人になれたのか、そんな事を考えたり、考えなかったり。

あれから30年の月日が経ち、誰に頼まれるでもないのに自ら歩く自分がいる。国内外のロングトレイルに魅力を感じるし、黙々と歩くという行為の素晴らしさにすっかり魅了されている。登山はキツそうでやりたくないとよく言われる。私はその人たちの気持ちが嫌というほど分かる。

腰痛の名残と硬く歩きにくい雪道で、思うようにペースは上がらず、やっと登山道に入った時には出発から三時間近く経過していた。いつの間にか降り出した雪に周りの樹々も美しく雪化粧していた。樹林帯に入った途端、一年ぶりの雪景色に胸の辺りから「心」という目に見えない筈の存在が一気に飛び出して踊り出すのが見えた。車なら一瞬で通り過ぎる道を一歩一歩自分の足で歩くと、時間の概念さえも変化し、溶けてなくなってしまう。

中途半端に雪に埋もれた木道を探りながら歩くのはとても難しく、次の木板がどれくらいの角度でつけられているのか、どれくらいの幅なのか、雪のない季節に歩いている木道をちゃんと見ているのか試されているようだった。何度も当てずっぽうがハズレて落とし穴にハマりつつ、なんとか東屋にたどり着いた。

ほっと一息お昼休憩を取った後、青苔荘の畔から真っ白な白駒池に向かった。おそるおそる池の真ん中まで歩き、一度やってみたかったあれをやってみることにした。大の字になって寝転ぶやつ。後ろから思い切りバーンと倒れ込みたいところだったけれど、歩いた足跡からどことなく溶けた氷の気配を感じる今年の暖冬ではその勇気がなかった。

それでも大の字になってみると、昔幼馴染と授業をサボって(?!)芝生に寝転んで空を眺めた日のことを思い出した。雪が降っている中で寝転ぶと、口に雪が入ってくるのだなあ。そんな当たり前のようなことをはじめて知った。どんな小さなことでもいい、これからはやってみたかったことをやるのだ。そう小さく心に誓っている。

私の登山は、あの日のウォークラリーの続きなのかもしれない。あの日自ら見ることを放棄した景色を見てみたくて歩いているのかもしれない。

歩いてみるとトータル12.5km、休憩込みで八時間経過していた。リハビリにしてはなかなかハードだったけれど、全身の痛みとは裏腹にすっかり元気になっていた。
白倉美織

Author 白倉美織

八ヶ岳南麓暮らし。山と写真と読書、ときどき美味しいものがあれば幸せ。 Instagram

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