【心呼吸】#04 山コレクション/ 雨乞岳

前日の夕方のニュースが、この日の午後は雷雨の可能性が高まると伝えていたので、行き先は午前中だけで下山できそうなヴィレッジ白州からの雨乞岳にすることにした。

久しぶりのソロ登山。
雨乞岳はきっと人が居ないだろう。わくわくとそわそわが入り混じった気持ちのまま登山口の駐車場に辿り着くと、既に一台先客がいて少しだけホッとした。じゃらんじゃらん熊鈴を鳴らしながら歩き始めるとすぐ、車の持ち主が落としたであろう地形図が落ちていた。他人事とは思えず溜息が出た。

静かな森の中、木の階段が始まる。これがこの先のジレンマに続く。人が歩かない木道はマルバダケブキと思われる植物に侵食されつつあった。確か北沢峠までのバスの運転手さんが、最近この毒性のフキが増えて南アルプスは困っていると言っていた。鹿が食べない有毒植物だけがどんどん増えていると、ガイドの友人に教えてもらったことが頭をよぎった。

木の階段は登山道を整備してくれている見知らぬ人々のことが頭によぎりながらも、自分の歩幅に合わない苦しさで道を外れたいジレンマとの闘いだった。時々、可愛いお花やネバーエンディングストーリーのファルコンみたいな木に元気付けられながらひたすら階段を登る。この日が初卸しのローンピークの調子を確かめたくて来たけれど、階段ばかりでいつもの登山靴との違いがイマイチ分からない。そうこうしているとガスがどんどん上がってきた。今日は甲斐駒は拝めないな。

階段が終わると平らな道がひたすら続く。何度も登山地図を眺めてみるが、それ以上の情報は読み取れなかった。「運が良ければ水場」の標識に、水は十分足りていたけれど確かめに行った。今日は運が良かったみたいだ。気分を良くして歩き始めると、向こうから男性が下りてきたので、地図を落としてないか尋ねると「まったく意味がないよね。ここから笹藪がすごくてびしょ濡れだよ。ゆっくり行ってください。」そう教えてくれた。

彼の言う通り、そこからは腰の高さの笹藪が押し寄せてきた。カラマツ林の中の笹藪を進むと、確かにびしょ濡れになったけれど、なぜだか楽しかった。慣れない靴で、足の付け根やふくらはぎは悲鳴をあげていたけれど、気持ちだけは羽が生えたみたいだった。勉強になるから履いてごらん、そう言って数日前に師匠からもらったその靴はもう既に私の宝物だったから。逃げ出したくなっていた目の前の壁はよじ登るしかないと、土で汚れたその靴が教えてくれているようだった。

山頂は予想通りガスの中。向かい側の日向山だけが慰めるように時々チラリと顔を出してくれた。おにぎりを食べながらしばらく待つことにしたけれど、どうやったって分厚く低い雲は甲斐駒を見せてはくれそうになかった。

諦めかけた頃に熊鈴の音がしてきた。
「山百やってる?」後から登ってきたその人は聞いた。山梨百名山のことである。「いいえ。私は北杜市がやってる#ほくと山シールが欲しくて来たんです。」人がなかなか登らない山であるこういう山は、’何か’がキッカケになって人がやってくるのだろう。私は百名山というカテゴリーで山に登ったことはないけれど、友人から教わったこのシールの絵があまりに素敵だったので「コンプリートしたい」という動機で山に登る人の気持ちがはじめて理解できた気がした。おそらく一番最後まで残りそうな雨乞岳が最初にもらったシールになった。

山頂の標の横でひょいっと足を顔の高さまで上げて写真を撮っていたその女性は、日本百名山、静岡の百山を登り終え、山梨百名山は雨乞岳が91座目、日本百高山が97座目だという。Y字バランスはいつからか山頂でやるようになったら、いつの間にできるようになっていたそうだ。それだけ登っていればこその説得力である。山がある限り人生楽しみは尽きないね。もうお孫さんが高校生だという彼女とそんな話をしきりにして、サヨナラした。山に登るキッカケや目的はみんな違うけど、こうやって出逢う一瞬一瞬が私の中のコレクションとなっていくのかもしれない。

白倉美織

Author 白倉美織

八ヶ岳南麓暮らし。山と写真と読書、ときどき美味しいものがあれば幸せ。 Instagram

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