凡そ日記_2021.5月6月

2021. 5.18

今日は写真館出勤日。8時20分に家を出る予定のはずが、8時20分起床。寝坊。3度寝くらいしていたらしい。

2021. 5.21

今はコメダの貢川店にいる。夏芽は左手で赤シートを押さえながら、右手にペンを持ち、何か所々マーカーを引いている。「すごい!終わった」右鼻下にニキビができている。ちょっと、笑いをこらえられない様子。「1、2、3、4だったらどれがいい?」「3」
「ぶぶ〜ははははっ」「これであっていたら凄かったのに」眼をクシャッとして顔全体を梅干しみたいにする。「下、何着てんの?」「脇」

2時間後には夏芽は、本当に歯医者の定期検診に行っているのかな
本を読んでいたら、夏芽にお花のシールを貼られた。堅苦しい本が一気にかあいらしい絵本のような雰囲気になった
突然手を取られ、人差し指を自分の鼻の穴に入れられる。僕の鼻はひどく湿っていたので、教科書に付けかえしてやった。「なんか喉仏出てきたかも?」
4時間後には二人、映画館でくつろぎながらポッ
プコーンでも頬張っていられたらいいな。

2021. 5.22

突然やってくる興味や好奇心に対して貪欲でいたい。
計画立てて正確にそれを実行するよりも、あえて怠惰な生活を送ってみる。日々、何かにつけて落ち込んだり、それでいて自分は正常なんだと何処までも信じ、生活しながらも、時々、やはりそもそもを疑い出したり、人生そのものをどうしようもなく馬鹿らしく思ったり(1対1の関係とか、友人との10年ぶりの再会とか)そんなことを繰り返している。
けれども、なんの意味もない、と言われればそれまでかもしれない「そんな中にある、下らない、不定期な(次いつかくるともわからない)確信を大切にしたい」
そういう生き方が一つ、あってもいいんじゃないか。最近よく映画を観る。僕はどうも偶然を好きすぎる

2021. 5.23

純粋な「あなたの為」のプレゼント(贈り物)を僕は誰かにあげたことがあっただろうか?
ちょっと思い出してみる。 時々誰かに渡したプレゼントは、もともと自分のために買ったものだったり、なんの気無しに買ったものを、後になって、これは誰かにあげたら喜ぶのでは、という推測から渡したものが多かった。いつでもその気持ちの動機は、純粋な「あなたへ」から来るものではなかったような気がした。

今日は彼女と僕が付き合って2年の記念日。数日前からこの日は花をプレゼントしてあげたいと考えていて、当日、やはり花を買いに行った。彼女に似合うものは、似合うよう、と花を選ぶ。悩み、選ぶ。あまり心が躍らない。踊っていないことに気づく。僕があげようとしている花束は、本当に彼女のための花束だったんだろうか?おそらく僕はこれほどまでに平凡でつまらないプレゼントをしたかったわけではない。僕にはもっと彼女を喜ばせてやれるための何かがあったはずで、そのことが分かった僕は(後から)悔しくて悔しくてたまらなかった。美しい幾つもの花の束を見て 、僕は本当に自信をなくしてしまった。僕が彼女に渡したかったのは花束ではない。世間体が僕に花を買わせた。

彼女との待ち合わせ場所に向かうために久々に電車に乗った。電車は本当に苦手だ。改札口へ入る瞬間、出る瞬間、階段を上る時、降りる時、車両に乗る瞬間、降りる瞬間、駅のホームから待ち合わせの場所へ歩く時。
僕は一体何度他人の顔をいちいち確認したり、他人が僕についてどう思うかなんて想像したりしただろう。
それからまた久々に待つ、ということをした。待つ時間は本当にいい。数分間で、人はこんなにも惨めでやさしい気持ちになることができる。太宰の「待つ」を思い出す。
彼女は少ししてやってきた。久々に二人並んで甲府の街を歩く。舞鶴城に着き一番上の見晴台へ行く。四方八方を山々が囲み、その中間で彼女が笑ってこっちを見ている。僕はたまらずその瞬間を残したい衝動に駆られ、そこでカメラを忘れたことに気づく。諦めて、もう一度彼女を見る。じっと、歯を食いしばって彼女をみた。見えないものなんて、意識したらいつでもみれた。これ以上の幸せはないんだな、もうこれ以上考えるのはよそう、と思った。僕はふと、心から安心しきって、何もかも全てうまくいくような気持ちになって、彼女の名前を明るく呼んだ。「今日やっぱり家来ない?」

2021. 5.25

眼鏡探しから始まる朝にうんざりしてしまう。

2021. 5.27

将来のことについて考えるとき、 僕が社会的にいかに価値のない人間なのだということが分かる。世間で言われている社会不適合者というものに当てはまるんだろう。僕としては、僕の感覚こそが、僕だけが正しいのだと思っていた。
僕としての生き方、なんて20歳を超えたあたりから通用しなくなってきたのは分かっている。僕は少しずつ、人前で自我を押し隠すようになってきているのかもしれない。
最近、 資格について考えることが多い。 例えば、あなたは何を所有していて、一体どんなことができるの?なんて質問に対して、僕に答えられることなんて皆無に等しいだろう。何をしてきた、とか、どんな思いを抱えている、とか、僕以外の誰にとって重要な意味を持つんだろう。
自分以外の誰かのために矛盾を抱えながら(僕は勉強をしたいらしい)様々な情報を調べてみる。 Facebookでこれから行われるイベントを確認したり、大学の講義を探したりしていると、そもそも今僕が住んでいる山梨という場所では、どんなことが行われているのか知りたくなった。どんな企業が、団体が、個人が、どんな活動を、どんな思いでしているのかなんてことは知りたくもなかった。どちらでもよかった 。自分にとって有益な情報とは何か。ある、サイトにたどり着いた。「生涯学習支援センター」という場所を知った。なんとここでは定期的に学習会、講義のようなものが行われているらしく、その分野は多岐に渡り、しかもそのほとんど全て?が無料で参加できるらしい。探していたのはこれだ。胸が躍った。

こんなにも、僕は貪欲に生きようとしている(誰の為かも知らず)しているのに…なんて思ってしまう。
最近は弱音ばかり吐いている。偶然決まった明日の予定も、緻密に立てた計画も、何の根拠もない、手前勝手な不安によって、はっきりと音を立てて、ちゃんと崩れていく。
希望をみつけては、その中に悲観する為の理由を探し出さないわけにはいかない。そんな感じだ

2021. 5.28

農作業を始めて今日で5日目になる。最近近所の葡萄農家さんの所でお手伝いをさせて頂いているのだけれど、毎日が新鮮で、地味で、それでいて朗らかで、何ともわかりやすい。
こんなにも楽しい場所があるとは思わなかった。
今日僕は確信した。僕は組織で働くのが向いていないのかもしれない。農作業をして、息苦しさを感じないこと、何か生き生きとした感情を覚えていたこと、作業が終わり次第、畑から畑へ移動するあの時間、前もってはっきりと決められたお昼の休憩時間、テーブルを囲んでみんなでお菓子を食べるあの時間。懐かしさのようなものすら感じた。僕は、安心できる場所が欲しかったのかもしれない

そういえば、昨日の日記に続いてだが、山梨で何らかの学習の機会を探す際にものすごく使い勝手の良さそうなサイトを見つけた。

「やまなしまなびネット」https://www.manabi.pref.yamanashi.jp/

ここは山梨県が運営するサイトで、山梨で行われるイベントや講座情報を分野、日程、地域ごとに詳しく検索することができる。僕はこのサイトで昨日載せた講義以外にも幾つか面白そうなものを見つけることができた。

2021. 5.29

農作業を始めてから、 久々に写真館の仕事に行ってきた。何と言ったらいいのかわからないけれど、今日は、自分が一体何をしているのかわからなかった。お客さんの前で笑顔で対応している自分が本当の自分なのか分からなくなってしまった。ちょっと、周りを見渡してみる。ほんとうに笑っている人はいるんだろうか。
人間というものはどうも駄目で、一度疑い出したり、自信をなくしたりすると、今まで当たり前のようにやっていたことが突然何も手をつけられなくなってしまう。
何かに向けて必死に準備を進めていて、その大切な日の前日なんかに、ふと、自分が今何をしているのかさっぱり分からなくなってしまう。前後の間隔や、自分のいる場所、覚悟とか、理由とか、何をしているのだか馬鹿らしくて笑ってしまうあの感じ。
「生きるって何だよ」「自分の価値って何だよ」

生きづらさを感じるのなんてきっと誰しもが大人になっていく過程の中で通る道なのかもしれないけれど、だからといって、その感覚に慣れてしまいたくないし、いつか、の誰かに対して「それは誰もが感じることなんだよ」「いつか誰もが通る道なんだよ」なんて無責任に言いたくはないもんだ。
「僕の痛みは僕にしかわからない」そういうことが紛れもないたったひとつの「僕の痛み」として受け入れることができたとき、人は初めて優しさを持つのだと思う。
僕は何一つできることなんてないけれど、人を受け入れること、信じてあげること、そういうことを大切にできる人間だと、そういう自分でいられていることを誇りに思う。
これから何をしていくのかなんてわからないけれど、どんなことをするにしても、そんな人との関わり方を目指していきたい。

2021. 5.30

彼女が僕のお尻の穴を触るのにはまったらしく(もちろん服の上からだ)非常に困っている。(彼女曰く、お尻を触るという行為それ自体よりも、それに対する、僕の「げえ!!」という反応がたまらないらしい)二人寝そべってグダグダしていると、なんだか下半身に違和感を覚える。 笑いをこらえきれない彼女が、お尻の穴を探りながら忙しく動いている。僕はまたか、と呆れて「神聖な場所だからやめて」と言うと、「パワースポットだね」「ケケケケケ」
気づいたら、僕も一緒に笑っていて、何だかこれはこれでいいのかもしれないなと思った。

2021. 5.31

今日は自動車税の納付をしてきた。お金なんて貯まるわけない。 月末はいつも苦しい。国民年金だって馬鹿にならないよ。

2021. 6.1

「久しぶりー!今日はジベやってきたんだ〜(真っ赤になった手を見せる)」「履歴書は書けるけ?履歴書を書く練習をしとくだよ。母さんだって何度も書いているんだから」
久々に祖母に会いに行った。近頃は会うたびに、頼むからハローワークに行ってくれと言われる。
今日は、最近行き始めた葡萄農家の仕事でジベレリン処理(薬品を使う作業)をした。その際に手が赤くなったので祖母に見せに行ったのだった。

少し話をして、思ったより身体が疲れていたことに気づいてベットに横たわる。暫くして、誰かの話し声が聞こえて目が覚める。叔母が来たらしく、祖母と二人でワイワイやっている様子。起き上がって声の方に行ってみると二人が農作業をしていたので、僕もよし、と手伝うことにして外に出る。
いんげんを植えるらしく、鍬を使って10センチくらい穴を掘り、そこに種を植えてやる。土を被せて、鍬で押し付ける。手伝いながら、本当にこれでいいのかと思う。
突然僕は自分の手で一から作物を育ててみよう!と思い立って、庭に転がっていた鉢を探し出し、畑の土を入れた。後は種。生憎そこには種がなかったので、祖母と園芸店にいくことにした。
支度をしている最中、叔母がもう帰る様子だったので、「おばちゃん、俺最近農業に興味があるんだ〜」「農業はね、人の手伝いをしているうちは楽しいけどね、自分で畑を持ってやるんじゃ全然違う。だめだめ!」

いつからだろう、こんな会話にならない会話をすることに慣れてしまったのは。いや、会話らしいものなんて一つもしていなかった。それでもどこか何かに期待しながら、今日も自分のことをすっかり話してしまったのは何故だろう。ほんとう、彼らから受けた仕打ちを全く忘れてしまっていて、また、今度も拍子抜けしてしまった。
トマトの苗、小松菜の種を買ってきた。もうすでに苗の移し替えも終わったので、明日から様子を見てみる。

2021. 6.6

明日から夏芽が実習で甲州リハビリステーションに行く。彼女の実家からだと距離があるので、山梨市の僕の実家から通うことになる。夏芽はさっき家にやってきた。今日から約2週間、夏芽との同棲生活のようなものが始まる。

2021. 6.7

今日、人と話しをすることに興味がなくなっていることに気づいた。自分の心持ちの問題だろうか。今漠然と感じている物足りなさは、おそらく他の誰から得られたりするものではないんだろうなと思う。広大な自然とか、小さな鉢で育て始めた小松菜の成長とか、限りなく浮ついたフィクションの世界ぐらいからしか心を満たせない。

2021. 6.8

感情を通り越した先に待っているものはなんだろう

2021. 6.11

今日はナルラボという、農薬や化学肥料に頼らない自然型循環農法で野菜を作っている農家さんの所で1日お手伝いをしてきた。
「ナルラボ」のことは元々知っていて(母の店でナルラボの野菜を使わせて頂いている)先日ナルラボで行われたイベントに参加したことことをきっかけに、今回僕の方からお願いをして1日お手伝いをさせて頂くことになった。
まず朝一番の僕の仕事は鶏舎にいる鶏さんたちに朝ごはんをあげることだった。彼ら、ものすごく食べっぷりがいい。ご飯をあげているこちらが清々しくなるくらいだった。あとで聞いた話だけれど、彼らのご飯の一部には鰹節が入っているらしい。それはあんなに卵が美味しくなるわけだー!
少しして、離れたところにある別の畑へ向かった。そういえば昨日、ナルラボ代表のみわさんから今日ここでイベントのようなものをすると聞いていた。なんでもそれは、無煙炭化器という円盤型の容器を使って、竹や枯れ枝で炭を作るというものらしい。
樹木は枯れると腐敗していく過程において、二酸化炭素を空気中に放出する。
この二酸化炭素は地球温暖化の原因の一つである温室効果ガスである。
そこで竹や樹木を炭にすることで放出される二酸化炭素をストップすることができる。
また、その炭を土の中に入れることで畑の土壌改良にもつながる。
近年SDGsのことがよく取り上げられている中、山梨県ではこの無煙炭化器を用いた炭作りに注目しているらしく、イベント開催と同時に甲州市の市長や市議会議員の姿が見えた。
みわさんは、数年前から畑の土壌改良のためこの方法を用いていたらしく、今回その講師としてイベントに招待された。みわさんにとってより良いものを作る過程の中でこのことは当然のことらしく、淡々と自分のやってきたことについて説明している姿は格好良かった。
話を聞いて僕が驚いたのは、まず作物を育てるにも土壌の環境を整えてあげる必要があると知ったこと。今あるほとんどの畑は、これまでに撒かれた肥料や農薬によって土は固くなり、本来いるはずの微生物は死滅、例え「健康な野菜」を作ろうと有機農業を実践しても今の土壌のままでは作物は育たない。そんな、現実だった。また、野焼きの問題についてもだ。なんとなく知識としてはあったものの詳細を調べたりする機会をもらえたのはありがたかった。
みわさんから聞いた話はここにはとても書き切れないけれど、良いものを作るために日々様々なことを取り入れ実験したり、自分の利益など顧みず、やるべきことを淡々としている、その直向きな姿には、非常に心動かされるものがあった。僕は純粋に、ナルラボのことをもっと知りたいと強く思った。
イベントが終わって隣の畑へ移りじゃがいもの収穫を手伝う。どうして農家に興味を持ったのか、少し前の自分と話しながら作業を進める。「お前は一体何をして汗をかきたいんだ?何だったら、お前自身を満足させられるんだ?」そうだった。僕はそもそもこの社会には不向きな人間であった。どんな仕事にせよ、マニュアル通りの機械的な作業やその場限りの、一時的な人とのつながりに興味がなかったのは確かだった。そんな僕には人以外の何かとちゃんと向き合う時間が必要なのかもしれない。

2021. 6.12

今日は一日寝て過ごした。それでも今日は不思議と罪悪感や自己嫌悪に襲われることはなかった。まあ何れやる気になるんだろうな、そう思ってまた布団を被る。

2021. 6.15

今日は葡萄の仕事。5日ぶりくらいにみた葡萄たちは見違えるほど成長していた。あのくらいの大きさだともうだいぶ甘くなってきているんだろうか。どうやら昨日あたりから本格的に梅雨入りしたらしく、夕方からは突然の通り雨にやられた、服はびっちょり。雷も久々に聞いたな。
と、今日はちょっと面白い話を聞いたんだった。天気予報でいう降水確率っていうのは、その地域全体の「平均値」らしい。例えばその日の降水確率が70、80%であっても全然降らなかったりする場所があるように。降水確率が70%だったら、30%は降らない場所があるという。
確かに山梨市内でも、上神内川と牧丘とかだと距離が離れていて、実際結構天気が違ったりする。言われてみれば当たり前のことだけれど、毎日確認する天気予報の数字について考えることなんてあまりなかったからとても面白いなーと思った。家に帰ったらちょっと詳しく調べてみよう。

2021. 6.18

引越しを決意した。近いうちに家族のことを書こうと思う。

2021. 6.19

今日はふたつのことについて書こうと思う。
1つ目は夏芽のこと
今日は久々の休みだった。午前10時頃起床、風呂に入り髪を乾かす前に二人で寝てしまった。その後何度か起きるが睡魔に勝てずまた寝る。夕方頃、ようやっと起きて放光寺に紫陽花を見に、夜は甲府駅周辺にある徳栄軒でラーメンを食べた。

仕方がないと言ったら嘘になる。けれどこれは誰のせいだろう。

今日、夏芽は2週間の実習を終えて自宅に帰っていった。
思えば彼女が家にいる間、僕は彼女を一度も撮らなかったし、家に来る前に考えていた幾つもの「楽しみ」を何もしていなかったことに気づく。
近すぎたんだ。帰宅した自分の部屋はちょっと思いの外広すぎた。

それから叁朝屋のこと(叁朝屋とは、僕が2020.2月〜8月まで住んでいた台湾のコミュニティスペースのことだ)

ちょうど最近ゆうきさんのnoteの投稿やなつやさんたち叁朝屋の日常を確認したりして、僕も少し思ったことがあったので書く。

ゆうきさんへ

まず僕は遅い。僕はいつも置いてきぼりなったような気がしていた。ゆうきさんたちがどんどん新しい言葉を紡いでいくのを目の当たりにしては、僕はその度、「僕に語れるものなんて今はないや。それはきっとここを離れたり、何年か経ってようやく書くことができるんだから」そんなふうにいつも言い聞かせていた。実際どうだったろう。僕は一冊の写真集を残し叁朝屋を去り、中国語のほとんどは忘れかけ、出来ることといったら、一月に一度くらい彼らの生活を強く想像することくらいだった。「僕はそこにいたんだろうか?」時々考えては、あの日々を抱きしめるように愛おしく思ったりする。ゆうきさんのnoteを読んだら、言葉ってやはりこういうことのためにあるんだなって思った。日本に帰ってきてから半信半疑だったけれど、僕はちゃんとそこに存在していたんだね。とても嬉しかった。僕はまだまだ、何も言葉にできないや。
https://note.com/yukiishida/n/nf75dce5ab2f6

なつやさんへ

おそらく僕が日本への飛行機でなつやさんの詩集を読んで、なつやさんに会って間もないあの晩、読んでも全くわからなかった詩集の意味が、するすると頭に入ってきたのはそういうことだったんだね。なつやさんはすごいよ。僕が半年以上も分からなかったことをヒョヒョイと言葉にしてしまう。なつやさんは本当に僕の憧れだ。ずっと兄さんのように思っている。山梨に帰ってからの僕の日々は、あの頃と比べるとあまりにも平凡で、先の見えない平坦な一本道をずっと歩いている感じ。だから、みんなに話すには、ちょっと恥ずかしい気もするな。それでも、僕はなんとか必死にやっている。時々、「偶然の遊び」について考える。残念だけれど、今僕の近くにはそういったことが一緒にできる人はいないから、あの頃を思い出したりすることしかできないんだ。だから今僕にできることといえば、とにかくあの頃の記憶を僕から離れて行かないよう、必死に、必死に食い止めておくことなんだ
https://www.youtube.com/embed/i7104RP02WA

大切にしたかったんだなと思った。僕は近くにいる人しか相手してやれない。遠く離れた友人や風景のことについて考える。あっちではどんな生活をしているだろうか?そんなことを考え出したらとても辛かった。そう考えたら、僕にできることはあまりにも少なくて、惨めだった。もういっそ考えない方が楽だとすら思った。僕が大切にできるものは少ない。そこには、少しばかり距離がある。どうも距離は苦手だと思った。

日が変わって深夜1時53分、池澤夏樹著「スティル・ライフ」を読み終えた。偶然にも今読むことができて良かったと思う。しばらくはこの物語のことを考えたり思い出したりしながら生活を送っていきたい。小説を読んだのは実に3ヶ月振りくらいだった。

2021. 6.21

大ピンチ!僕は今年の3月に20歳の誕生日を迎えたのだけれど、当然のように国民年金の納付は4月からだと思っていた。今日自宅のポストを確認すると3月分の年金の督促状が入っていた。その内容は、今月の22日までに未納分の支払いを済ませないとお前のところの財産を差し押さえに行くぞという。焦る焦る。さらに運の悪いことに先月分の車の保険も引き落としができていなかったようで、今月は2ヶ月分払う必要があるらしい(大体ひと月の支払いが1万円くらいだ)年金と合わせると大体約3万円近くの出費になる。ただでさえ今月はギリギリのところでやっていたのに、今の僕の状態でどうやってそんな大金を用意することができるだろう。
僕はどうにかお金を作ろうと、急いでまず自分のいらなくなったカメラや洋服をメルカリに出品した。出品したはいいものの確実に即売れるという保証はないし仮に売れたとして現金がすぐ手に入るわけではない。僕は考えに考え、ふと以前祖父にもらった幾つかの切手のことを思い出した。きちんと揃えてみるとなるほど結構な量がある。これはどうにかなるもしれない。僕は急いでインターネットで切手の買取をしてくれるところを探した。「バイセル」という全国に支店を持つ買取業者を見つける。ここでは切手から骨董品まで幅広い買取ジャンルがあり、査定料、出張料などの手数料は無料、さらにその場で現金買取もしているらしい。すぐに依頼をし、明日の夕方出張買取に来てもらうことになった。どうにかなるだろうか。運が良ければ大金が…などと夢のようなことを少しばかり考える。明日よ、早く来い。

2021. 6.22

買取の総額は1万1千円だった。地道に努力するより他はないな。

2021. 6.24

そういえば小松菜とトマトの成長のことを書いていなかった。彼らが家に来てから大体ひと月が経とうとしているのだけれど、彼らの成長は本当凄まじい。小松菜は3日目くらいには芽を出し始め、葉っぱは2枚3枚4枚と日を追うごとに増えていった。トマトはどんどんと茎を伸ばし、もう大体30cmくらいにはなったろうか、最近では幾つか実をつけ出した。
僕の過ごし方、在り方とは全然真反対のように見える。
最近は絶対不可能と言われてきた無農薬でのリンゴ栽培に成功した木村秋則さんの本「奇跡のリンゴ」を読んでいたり、自然栽培や無農薬栽培に強く関心がある中、毎日水をやって育てている小松菜と、トマトに対してはどこか気持ちが入らない自分がいる。どうも本を読みながら心躍るその気持ちと、現実世界、自分が手を動かしたりするのは違うんだろうか。まあ最近は自分のことで手一杯だったり(毎度月末は金銭的に苦しい)現実から目を背けることで辛うじて自分を保っている感じだからな。当然焦りもある。最近の生活の中では、自分が前進しているんだ、という確信が持てるようなことは何一つしていないから。

2021. 6.26

毎月、月末にはお金のことに苦しんでいるのだけれど、どうしてそんな状況ができてしまうのか自分でも良くわかっていない。つい先日、自分の月の支出を書き出してみたら結構驚いた。

国民年金 17000円
車両保険 10000円
奨学金返済 6000円
ガソリン代 15000円
本代 3000円
フィルム、現像代 10000円

サブスク
Amazonプライム 500円
Netflix 1500円
Adobe 3300円
icloudストレージ130円
オンラインサロン 約3000円
読書会参加費 350円

月々遊びに出かけたり無駄な出費がなくとも(そもそも普段誰かと遊んだりすることはない)7万程はかかってしまう。こんなにかかってしまうのだ。
写真は最早、僕の生活には欠かせないものとなっているからどれだけお金が無くともフィルムだけは買っているが、写真を見るための現像代だって馬鹿にならない。去年の11月からは車も購入して毎月のガソリン代はもちろん維持費だってかかる。
幾つかのオンラインサロンに入っているのだって、僕みたいな何もない人間(社会との関わりをほとんど持たない人間)はせめてこういった場所で常に新しい情報に触れていないとマズイなと人一倍自覚しているからである。そして、実際こういった場所での学びは大きい。
アマゾンプライムやNetflixに加入しているのも、あらゆる天才たちが残した最高級の映像作品を今この年齢のうちに、とにかくひと通り触れておきたい、あらゆる感覚を、身体に染み込ませておきたいと強く思うからだ。誰も、「そんなこと」は教えてくれないから。
元々自分は物質主義的なところがあって、何をするにもまず物を買ったりと、形から入ったりすることが多かった。映画を見るにもCDをレンタルするのではなく購入して自分の物にしてから観なければ気が済まなかった。今ではアマゾンプライムやNetflixなどの動画配信サービスが普及してきて、それがあまりにも便利すぎるからそちらで満足しているけれども、やはり本に関していえばまだ違ったりする。まあ、僕の場合は物質主義というよりも古き良きものを大切にしたいという、古物収集家的な面がちょっと強かったりするのだけれど。だから今でも本は古本屋で買うし(あまり今流行っているものとかに興味が持てないというのもある)映画はネット以外は、わざわざ単館系の映画館に行って観たりする。まあだから、要は金がかかるのだ。僕は金も無いのに変にこだわりが強いからカメラだって良いものが欲しいし、洋服だってずっと着ていられるようなvintageもののちゃんとしたやつが欲しい。と、そんなこんなで僕は僕の生活を大切にしつつ、大切にするとお金がかかるから毎月苦しいよ。苦しいから今より頑張るしかないよ、という話だった。

2021. 6.28

自分のあらゆる持ち物を売り捌いてお金を作りなんとか今月の支払いを済ますことができた。ちょっと疲れた。

2021. 6.30

今日は6月最後の日だった。葡萄の仕事が休みになったので今日はナルラボに行ってきた。今日の作業はまず鶏に餌をあげることから始まった。今日は卵が三つ産まれた。それから畑に移り、作物たちに美味しくなーれと言いながら水をあげた。(そこはとうもろこし畑だった)作業の前、美味しくなーれと言いながらお水をあげてね。と言われたのだった。(普通だったらこのようなことを言われたらちょっと疑問に思ったりするだろうけど、僕の場合、よく母から言霊というものの存在を聞かされていた。そうして実際、僕もそれを信じていた。野菜に向かって毎日罵倒を浴びせながら育てていくのと、前者のよう愛情を込めながら手をかけていくのを比べれば、結果はやはり圧倒的に違うだろう。お水をあげた後はとうもろこしの摘芯作業をした。お昼になり、また違う畑に行く。今度の畑では、僕がわかったものだけでも、とうもろこし、なす、トマト、きゅうり、落花生、それから少しばかりのハーブがあった。ここの畑でもとうもろこしの摘芯を、そのあとはナスの苗に炭を細かくしたものを撒いたりした。炭は雑草の成長を抑えてくれるという。ナルラボでは除草剤や農薬を使っていないため定期的に刈払機で草を狩る必要がある。僕が午前中に行った畑も、雑草が約20cmぐらいに伸びていたが、それでも1週間ばかり前に草刈りをしたばかりだとう。作業をしていると草という草の中からさまざまな虫を発見する。バッタがあちこちをぴょんぴょん跳ねているし、土の中のはダンゴムシやゲジゲジ、名前の知らない小さな虫たちがたくさんいる。僕は感心してしまった。これがほんとうの畑なんだ。一体僕はいつから虫を怖がるようになってしまったんだろう。目を凝らしてみた。「それから」の中で代助が「ああ動く。世の中が動く」と言っていたことを思い出して、ああ、僕も今これに近いものを感じているんだなあと思った。畑での作業は、僕に、忘れていた何かを今一度思い出させてくれる、大切なことを教えてくれるものだと思った。

農業に興味を持った理由を考える。生きてく上で避けては通れない道だと思ったから

そもそも僕は仕事というものがあまり好きではなかった。直向きに働くことがえらいことだとは思えなかった。
「それは切羽詰まった状態になったことがないからだよ」と、いう。
勿論生きていく為には働かなくちゃならないから仕事はする。

けれども僕は根本的に「遊び」が好きなんだよな

僕は仕事をするということを、お金が貰えるから、とかそんな単純な物事として捉えていない。もっと、生きるって何だろうとか、そういうことを日々考えている

寝る前に友部正人の「まるで正直者のように」を聴く。涙が溢れてきて止まらなかった

馬渕尭也

Author 馬渕尭也

2001年生まれ。山梨市出身。高校時代から周囲の人たちのありのままの姿や風景をフィルムカメラで撮っている。 高校卒業後台湾へ留学。帰国後の現在は、農業をしたり、地域の読書会に参加したりと、様々な場所をウロウロしながら生活というものを日々模索している。好きな作家は深沢七郎 Facebook / Instagram

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