乙女湖のホトリニテ

By 2020.11.19SHOP

ずっと昔から人には旅に出る理由がその時々でいくつかあって、それぞれの想いを抱えていつもとは違う場所を求めるようです。人間とは旅に出る生き物で、旅の目的地が「宿」になることもしばしば。

そんな旅の目的地として、2011年から2018年末まで山中湖の“ほとり”にたたずみ世界とコミュニケーションする宿がありました。その名も「ホトリニテ」。

BEEK Issue02「本が好き!」特集でぼくは山中湖時代のホトリニテにはじめて訪れ、宿主・高村さんに出会いました。
彼とぼくとは同い年。彼が実家の宿業を引き継ぐまでは、音楽やアートに傾倒していた時期が長くありました。
1階にはたくさんの本があるライブラリがあり、日当たりの良い縁側に座ってライブラリから選んだ本を読むのが好きでした。滞在しているとなにか圧倒的に心地よい、クリーンな気持ちになれるしつらいがこの宿にはありました。それはほんとうに細かい部分的な集合体で、それが全体として宿を形成しているように思えました。
山中湖の宿はなくなってしまった場所なのでいま多くは語りませんが、ぼくだけがそう感じていたわけでなく、山中湖のホトリニテを大好きな人たちが全国にたくさんいて、その人たちがその人なりの旅の目的地たるホトリニテの良さを知っていました。

そしてホトリニテは1年の準備期間に、山梨市牧丘町にある乙女湖というまた別の湖のほとりの建物と運命的な出会いをはたし、新たに宿としての営業を再開しました。
乙女湖とは現在国内に建設されている多目的ダムの中で最も高い標高に位置する琴川ダムによってできた人工湖。名峰、金峰山へと向かう途中にあり、遊歩道も整備されています。
ぼくは高村さんに乙女湖で再会すべく、夏のとある日、ホトリニテに泊まりにいきました。
少し複雑な旅に出る理由を持った一人のお客さんとして迎えてくれた、その日1日の出来事をここでは綴ります。

宿に到着する前にまず旅の入り口として来て欲しい場所があると言われ、牧丘の窪平から杣口の林道まで登っていきたどり着いた場所には、「金桜神社奥社地跡」という看板が立っていました。そこで高村さんにお出迎えされ、「じゃあ旅の始まりの場所に行こうか」と森の中に見える鳥居に向かって歩いていきました。
森の中に建つ小さな赤い鳥居はとても神秘的で、ここが修験道の聖地だったということにも頷ける存在感。畏怖の念を抱きつつ鳥居をくぐり、ホトリニテへの旅が始まったことを意識させられました。
この場所での歴史の話を高村さんとしながら、古代にできたであろう石段をのぼり10分もしないうちに金桜神社の奥社跡にたどり着きした。
ここには当時の建物の礎石や石垣が残されています。小さな祭壇も設置され、ここで旅の祈願をと一礼。
日々過ごしている現実と、今日始まる旅との明確な境界がここではっきりと区別された気がしました。

続いて訪れたのは奥社跡地から少し車で登ったところにある「杣口のサワラ林」。
サワラとはヒノキ科の木で一般的には沢沿いの湿潤な場所に生息している木のようで、この杣口のサワラ林は火山岩の上に天然で群状生息していて、学術参考林になっているそう。
とにかく見渡すかぎりコケが生え、ところどころにある巨木の壮大さに目を見張ります。木によっては大きな石を飲み込むかのごとく育っていました。圧巻すぎて、「ここはもののけの森か、、」と思わずつぶやいてしまうほど。

山梨に住んでいて自然と身近に接しているつもりでも、「こんな森があるのか」と驚いてしまう原始感。
高村さんが乙女湖に移住して、宿の軸足をしっかりと見極めて行くなかで地元の人との交流でこういった自然や歴史を知ることも多かったそうです。

ホトリニテのまわりには1日で回っても足りないくらいの見所のある、野性味あふれる自然がたくさんあります。
金峰山や国師ヶ岳への登山道入り口にもなっている、自動車車両が通行できる日本最高所の車道峠「大弛峠」(標高2360m)も乙女湖から30分ほど。
乙女湖も標高約1500mあるので、車で数分あがり、徒歩数分でふつうなら1時間以上かけて登らないと見ることができない山の頂上並みの絶景スポットも見ることができます。近くの乙女高原ではシラカバ、ダケカンバ、ミズナラ、ブナなどが植生していて、初夏にはレンゲツツジやアヤメなどの花も咲き誇ります(12月上旬~4月下旬までは林道冬季閉鎖するので注意)。
泊まる人の状況や要望などを高村さんが丁寧に汲み取って、ホトリニテに続く道をまるで森の守り人のように案内してくれます。
乙女湖にある遊歩道も、湖全体とはいきませんが湖の周りに整備され散策ができます。今年から高村さんはドローンも手に入れ、操縦と撮影を覚えて、泊まってくれる人にガイドで行った場所も含め散歩風景をドローンで撮影し後日、編集した映像を記録してデータで送っているとのこと。「旅のおみやげにこういうの見れるのって嬉しいと思うんだよね」と。

湖畔の林は最初に行った原生林とは違い、多少人の手が入って整備されていることが感じられます。ここだけでもじゅうぶん自然いっぱいだけれど、その前に見た野生の自然を感じていると、明確にその違いもわかります。どちらが良い、ということではなく。
自然というワードをたくさん使っていたら、禅でいうところの自然(じねん)という言葉が思い浮かびました。『結果自然成』(けっかじねんになる)という禅語があって、それは「正しい目的に向かって日々努力を続けていれば、ふさわしい結果はおのずとやってくる」という意です。やっぱり自然体ってなかなかできないことなんだな。
そんなことを考えながら、湖が見渡せる半島部までたどり着きました。この日はできなかったけど、次に泊まることができたら朝いちばんの散歩でここまで来てゆっくり読書をしてみたい、と思いました。静かな湖畔の森の中で鳥のさえずりを聞きながら。

さて、ここからは宿のご案内。乙女湖で以前も宿泊業をしていて使われなくなった宿を高村さんが取得し改装して新生ホトリニテが誕生しました。

山中湖の時と同様、宿にはホトリニテらしいしつらいがあちこちにあります。カウンターまわりは木で統一されていて、昼夜を問わず温もりをもってお客さんを迎えてくれます。こちらのカウンターや宿入り口の門は、北杜市の萩原デザイン工務店さんが担当。

広い大きな暖炉が部屋の片隅に鎮座する部屋では、冬は火を見ながらのんびりできそう。奥の小部屋にはマッサージチェアが。以前冬に来た時の窓からの雪景色はとても山梨にいるようには思えませんでした。ここでは無言でいることの贅沢さを知ることができます。

そして、山中湖時代にもあった盆栽の間がここ乙女湖にも。よりミニマムに、より精錬された空間の中で「塩津植物研究所」さんの盆栽が四季折々の借景と共に楽しむことができます。高村さんがこの建物に出会って一番最初にこの部屋を見たとき、すぐこの部屋のしつらいの想像がついたそう。高村さん自身の宿への考えがいちばん反映されている場所になっているそうです。
宿には6つの部屋(ぜひ泊まって確かめてみてください、最後の一つはまだ改装中)があり、それぞれの部屋で受ける感覚が違うように設計されています。

宿の様々な場所に高村さんが出会って実際に感動した作品が使われているのを知るのもホトリニテのみどころのひとつ。
せっかくなので参加している作家さんやアーティストのことを教えてもらいました。リンクもあるのでぜひ気になったらチェックしてみてください。
①門・玄関までのアプローチと照明、受付の台・壁「萩原デザイン工務店
②受付のところのオオカミランプ「KIYATA
③廊下のはっぱランプ「村松さちえ
④盆栽の設え、空間デザイン「塩津植物研究所
⑤盆栽の部屋の水紋アクリル「俵藤ひでと
⑥土器作家「熊谷幸治
⑦富士山のお皿の作家「キムホノ
⑧ガラス作家「小牧広平
⑨玄関ホトリニテ文字「柳田さやか」
⑩和室 掛け軸「沖真理

ホトリニテは山中湖時代からホスピタリティが素晴らしく、Booking.com「温かいおもてなし」ランキングで世界2位(日本初)という実績もあります。
「おもてなし」という言葉は、わかりやすい宣伝文句としての意味で広まってしまったかもしれませんが、本質はなんでも不自由なく面倒をみるということではないですよね。
高村さんのおもてなしは、“足るを知る”的な解釈も組み込まれ、訪れた人に心地よく過ごしてもらうための気配りや準備が最高水準でできていることだとぼくは勝手に解釈しています。
どれだけ有名な宿、高級で予約が取れない宿であっても、おもてなしという言葉の中では同じ土俵になるはずで、そこでの勝負で世界2位なのですからね(もちろん順位がすべてではないですが、評価は大切な基準になっています)。
ホトリニテは、宿主も宿自体も所作が研ぎ澄まされ、その結果が泊まる人にここでしかない体験をしていると認識させてくれるのだと思います。
旅の目的は泊まる人にしっかりと委ねたまま。
山中湖時代から何度か泊まってぼくが個人的に感じたところなので、実際はみなさんに泊まった感想を教えてほしいくらいです。言葉でいくら連ねても体験に勝るものはないですからね(じゃあなぜ書いているかというと、伝えずにはいられないものがあるからなんです)。

感じたことといえば、もうひとつ。
いつでも宿の隅々までとても綺麗なところ。
高村さんがもっとも気を配っているところで、ホトリニテが世界の他の宿と競れるところは「掃除」だと断言しています。
隅々まで綺麗にするということはもちろん、クリンネスということはそれをずっと心懸けて宿内の空気を滞らせないことも含まれます。それだけは高村さんがなにがあっても怠れない部分なのだそう。まだまだ時間が足りない、できることはあると掃除を匠の域にまで高める姿勢なのがすごいところ。
今までもホトリニテに来ると、とても風通しがいい場所なんだなと感じていました。それは掃除が行き届いているということでもあるし、お客さん目線の細かい動線も把握して、細部まで掃除の徹底や目を配っている証拠なんだろうなと思います。

せっかくなので高村さんにこの宿に出会ったきっかけを聞いてみたいと思い申し出ると、「じゃあお茶でも飲みながら話そうか」と言って盆栽の間でお茶をたててくれました。
「また新しく宿を心機一転はじめようと、実は全国いろいろな場所を見たんだよね。そして最終的に奈良のほうで新しい場所を探していたんだけど、たまたまその探していた場所を持っていた不動産屋さんがここの乙女湖の物件も所有していて。山梨だし見てみたいということで行ってみたら、こんな近くにこんな素晴らしい場所があることを知ったというわけ。一目見てここでだったら新しく宿ができる、ここしかないなってすぐに思ったんだ。この建物もあったしね。ちなみに、山中湖時代の住所の番地が1464で乙女湖のダムの高さが1464mだったんだ。そんな偶然ある?って感じで笑。導かれてるよね。この場所は今でもそうなんだけど山梨県の県有林だったので、場所を取得するまでに大きな関門が4つくらいあって、クリアできるかどうかは当時ほんとうにわからなかった。だけどいろいろなことが重なって全てクリアできたんだ。ちょっとでもタイミングや条件がずれたらここではできなかった。だからほんとうに運がいいんだと思う。ダムがあり湖があってそのほとりに建物や自然がある場所って世界中調べてもここにしかなくて。ここでしかできないこと、表現できないことをこれからやっていこうと思ってる」

物件を取得してから営業にいたるまでを振り返るとかなり大変なことも多かったようですが、「自分で場所を作ることは、今までと違う世界を見たいから。そして、新しいものを見たい感覚で、自分で感動したいのかもしれない」と教えてくれました。
感動したものは、食でも場所でも「見て見て」と人におすすめしたくなるもの。それを高村さんは「人の原始的な欲求」に似てると言います。
高村さんはそれを宿で体現しようとしているのです。自分が感動した乙女湖という場所を、宿を通して知ってもらいたいと考えています。
「人が感動する出来事、体験もどんどん原始的な方向に向かっている、それは感覚を取り戻してることだと思うんだ。ここはほんとうに人間と自然との際(きわ)、境界であり自分たちの暮らしも問われている気がします。際はつまり「ほとり」。ここに来て宿の名前が生き方とリンクしてきて驚いているけど」

現在宿ではテントサウナと熟成肉という、これまたここでしかお目見えできない組み合わせのプランもあります。
サウナラバーも続々と訪れているのが公式ツイッターからも見て取れます。高村さん、ツイッターの更新はわりと頻繁なので、ここまで見て気になった人はぜひチェックしてほしいところ。
https://twitter.com/hotorinite2
乙女湖という新たな場所で、その水面に映った影のように、高村さん自身と表裏一体で存在する宿。
あなたなりの旅に出る理由ができたとき、いつかその時がきたらホトリニテを訪ねてみてくださいね。
結びに、まだ開業前の冬に訪れたときの雪のホトリニテの写真を静かにここに置いておきます。

ホトリニテ
〒404-0007 山梨県山梨市牧丘町北原4139-1
http://hotorinite.com

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