【心呼吸】#11 水に踊る/精進ヶ滝

とっておきの場所は本当は人には教えたくない。それと同時にあの人にそうっと教えて行ってもらいたい。天邪鬼な私には常に複雑な思いが同時に溢れる。「男子になりましょう」という彼女の言葉からその時間は始まった。

まだ知り合ったばかりの豊美さんと、デジタルの力を借りた現代の往復書簡のようなやりとりを一月半ほど続けた日曜日、職場のボスにかねてから勧められていた石空川沿いを歩きながら精進ヶ滝(北精進ヶ滝)を歩くコースに向かうことにした。彼女は一度しか会ったことのない女性だったけれど、私の一目惚れだった。まるで自然と一体化したような姿に、写真を撮らせて欲しいと頼んだのがきっかけだった。その日から滝に行くまでに、彼女は礼文島に一人テント泊の旅に出かけたり、昔はバイクで山に行って登山に行ったりしていた話などを聞かせてもらい、実際にはまだ半日しか会ったことのない彼女の旅を想像するごとに胸は高まった。

初めて出会った時、全身真っ白だった豊美さんは登山の日、全身真っ黒で現れた。その潔さに、ふたたび惚れ直した。話に夢中になりながら運転し、行きすぎてしまうのはいつものことだけれど、彼女といるとなんとも言えない安心感があった。林道を進むこと2、30分だろうか。Googleマップの示す時間は、もはや意味をなさなかった。紆余曲折ありながらも駐車場に無事に辿り着くと、木陰のスペースが空いており、そこに駐めることにした。それだけで、既にこの森が私たちを快く出迎えてくれているような気がした。

出発地点の吊り橋の手前から、既に二人とも花に釘付けで、これはいい意味で時間がかかることを期待した。誰も急かす人がいないのだから。ゆっくりゆっくり樹林帯を歩く。豊美さんは、ぼやけてきた私の目ではピントが合わないような3mmにも満たないような小さな小さな可愛いお花をさっと見つけて、しゃがみ込み、愛でていた。その姿を見て、私は安心して自分の吸い寄せられる方へと身を任せ歩き始めた。梅雨明けしていないとは思えない灼熱の日だったけれど、樹林帯の中はだいぶ涼しかった。

木漏れ日や虫などにひとつひとつ感激しながら歩いていたら、「10分」と地図に書かれていた地点には一時間近くかけて歩いていたようだった。時間も日常という現実空間も溶けてなくなってしまうようだった。急ぎ足で歩いてしまうにはあまりに勿体無いくらい、足下には小さな世界が溢れていた。

フォッサマグナを見た後、一の滝、二の滝と続く。滝の水の音、鳥の囀り、溢れんばかりの一面緑の世界。様々な形の葉っぱがいきいきと広がっていた。時より川から吹き抜ける風が心地よい。私の大滝汗を乾かすには足りなかったけれど。長い梯子があったけれど、見た目ほどキツさも恐怖感もなく、サラッと過ぎた。途中に巨石も現れ、飽きることなく道は続く。

歩いていると、スタート時間が一緒だったロシア人のファミリーが終点の精進ヶ滝から下って戻ってきた。果てしなく続く緑のシャワーに、頭に浮かぶのは「なんて美しいのだろう。」美味しいものを食べたら「美味しい」しか出てこないように、樹林帯の美しさを目の前に気の利いた言葉は見つからなかった。

最後はあっけなく精進ヶ滝が突如として現れた。さっきまで見てきた滝とは違い、その先は私たちを簡単には寄せ付けないオーラが漂っていた。滝見台で朝自宅の畑から採ってきた、たった四つのミニトマトを二人で分け合って口にした。その昔大雨の常念岳を登った日、凹んで意気消沈している私に一緒に登ったご婦人ののりさんが、ジップロックいっぱいに入った畑のミニトマトをそっと差し出してくれたことがある。その時の瑞々しいトマトの味がずっと忘れられなくて、いつか同じことをやってみたかったのだ。始めたばかりの畑のトマトはまだ一日ひとつふたつしか実を赤くしない。それでもここでそれができた小さな喜びを彼女と分かち合うことができ、とても嬉しかった。

「さぁ、どぼんしに行きましょう」合言葉のようにそう互いに確認し合うと、下の滝まで下った。彼女との往復書簡で、海のない山梨県の人はどうやって水遊びをするのでしょうか。そんな話をした。徒渉のある山などで、男性たちが着替えもお化粧も気にすることなく川にドボンとするのが羨ましい。そう私が言うと、「男子になりましょう」彼女が優しく背中を押してくれた。

ちゃんと水着で来ていた彼女と違い、ふつうの登山服の私。でもしっかり車にズボンとTシャツは持ってきている。下着が乾かなかったら帰りはノーパンで帰ると覚悟を決めた。靴と靴下を脱ぐと、ちゃぽんと気持ちよさそうに水に入り、泳ぐ彼女。すかさずシャッターを切る。なんてカッコいいひとだろう。この日何度も彼女に惚れ惚れしてしまった。その姿にうっとりして、このまま眺めていたいような気持ちにもなったけれど、私も服のまんまどぼんと入ってみた。はじめてのことをする時の、緊張と解放と、長年の夢が叶った喜びとぎこちなさが、服が水で濡れるように身体を包み込み、少しくすぐったかった。川の水は最初こそ少し冷たく感じたけれど、外気が高いので、半分身を水から出すととても心地よかった。砂を手で何度も救い、滝の水しぶきに当たる。それだけでとても楽しかった。

自然の水の中で泳ぐことと、音に身を委ねて踊ること。それが私の夢だった。イギリスに暮らしていた子供の頃、演劇の授業で先生に「葉っぱになって踊りなさい」と言われた。みなが躊躇することなく葉っぱになり切って踊る中、私は一人固まった大きな石のようだった。今ならぎこちないながらも、風に舞う葉っぱになれるだろうか。がんじがらめの何かがいつも分厚く自分を覆っていて、その中からなかなか這い出ることができないでいたような気がする。薄皮を剥がすように、少しずつ殻は破れていく。殻の外にはどんな世界があるのか。今の私は楽しみで仕方ない。

しばらく水を楽しんだのち、Tシャツを軽く絞り、びしょ濡れのまんま再び歩き出した。

ゆるめると何かが入ってくる。濡れたら太陽で乾かせばいい。冷えたら暖めればいい。暑くなったらまたどぼんすればいい。

流れに逆らわす、自然の流れの中で生きている人たちが、大自然と同じく、言葉ではない別の何かで私に教えてくれている。

白倉美織

Author 白倉美織

八ヶ岳南麓暮らし。山と写真と読書、ときどき美味しいものがあれば幸せ。 Instagram

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