アメリカヤビルにはとても長い歴史があります。アイスキャンディで一世を風靡した時代を知っている方が多いのですが、このビルが立つ前から前オーナーが様々な商売と歴史を経て今に至っています。前オーナー貢さんの息子さん、現オーナーの星野三男さん、そのお兄さんの順二さんにアメリカヤとしてお父さんが始めた事業のこと、このビルが建つまでの経緯をお聞きしました。
順二さん(上写真、左)「このビルが建つ前は、タクシーの大きな車庫のようなものが建っていて。戦争からお父さんが帰ってきてそこに住めるようになって、これから商売を始めるということでいろいろやったみたいですよ。大工をして、そのあと運送会社で働いて、そこから独立して自分でオートバイを買って米をそれに積んでは行商をしていたり。そして、今のアメリカヤの場所に建っていた倉庫で最初に始めたのがふかし芋だったね。そこから、ラーメン屋になって、その奥でアイスキャンディを作るようになったんだよ」
三男さん(上写真、右)「アイスキャンディをたくさん作って、当時車が珍しい時代にピンクのフォードのオープンカーで売り歩いていたね。そのアイスキャンディは、敷地内を掘って出てきた水で作ったんだよ。今でも勢いよく出てるね。もともとは温泉をしたかったみたいだけど、温度とか湧いている位置が足りなくて、この水を使ってなにか商売ができないか考えてアイスキャンディになりましたね。当時小学校から遠くは大月のほうまで、いろいろな場所に売り歩きにわたしも連れて行かれたもんです。アイスキャンディが一番売れたし、アメリカヤのことを知っている人もアイスキャンディの思い出がある人が多いみたいだね。そしてアメリカヤビルが1942年に建つことになったのかな。当時こんな5階建ての高いビルはまわりにどこにもなかったね。お父さんが戦争で行っていたシンガポールでこんなようなビルを見てたらしいくて、その当時のアジアのビルの面影があるんですよ。そしてお父さんのお兄さんが戦争中行っていたアメリカの話を聞いて憧れをいただいていたみたいで、名前は『アメリカヤ』に決まったみたいだね」
昔は遊ぶところもなかったこともあり、街に人があふれていたそう。アメリカヤビルは、1階で食堂やお土産やアイスキャンディ売り場、2階が喫茶店、その上では貸し席の無尽を開ける場所として、そして旅館業も営んでいて老若男女いろいろな方がお店に来てくれていたそうです。時代は高度経済成長期、商店街も活気があり様々な商売の店が並んでいました。それから数十年、時代の流れの中で、近くに大きなデパートができたり近くにトンネルが通ったことで交通の便の変化などが起きます。その影響は大きく、韮崎商店街の一つの分岐点になったのではと星野さんたちは言います。そして、約15年前にお父さまが亡くなり、そこでアメリカヤでの営業も一旦幕が閉じました。
そして去年2017年にある人がきっかけで韮崎に拠点を置く設計・施工事務所、IROHA CRAFT(アトリエイロハ一級建築事務所)の千葉さんが現オーナーの星野さん(三男さん)と出会います。千葉さんはこのアメリカヤビルに小さい頃、アイスキャンディを買いに親御さんに連れてきてもらった思い出もしっかりと残っていました。事務所も韮崎にあることから、このビルの前を通るたび、このビルを借りてリノベーションするこができたらきっと韮崎に面白い拠点ができる、そう思っていたそうです。ビルを実際に見せてもらった後には、その想いは確信へと変わり星野さんにその想いを伝えます。「自分たちがリノベーションを全て引き受けてお借りして、このビルの良さを残したまま新しい街の拠点にしたい」と。その熱い想いを受けて三男さんはこのビルをIROHA CRAFTに託すことを決めました。三男さんはアメリカヤが閉まる直前まで、商売をずっとこの場所でしていた経験からも、またこのビルで商売をすることに対する懸念もあったそうです。
「千葉さんたちは100万、1000万の事業はしているけど、1000円、1万円のいわるゆものを売る商売、商いはまだしたことがないんだよね。そこが心配で壁にぶち当たることがあるんだと思う。でも千葉さんの熱意や夢を聞いて、ぜひやってもらいたいし、自分ができることはできるだけやらせてもらおうと思いましたね」とにこやかに話してくれました。
「千葉さんたちは100万、1000万の事業はしているけど、1000円、1万円のいわるゆものを売る商売、商いはまだしたことがないんだよね。そこが心配で壁にぶち当たることがあるんだと思う。でも千葉さんの熱意や夢を聞いて、ぜひやってもらいたいし、自分ができることはできるだけやらせてもらおうと思いましたね」とにこやかに話してくれました。
こうしたアメリカヤの歴史の中、バトンを受け取ったIROHA CRAFTの手によって今年2018年4月にアメリカヤは生まれ変わります。
「AMERICAYA est. 50 years ago in 1967. Reborn in 2018.」
もちろんIROHA CRAFTだけの力ではなく、多くの人の手を借りて新しい人が集う場として生まれ変わります。千葉さんの想いとこのビルのポテンシャルが少しずつ多くの人に伝播していっています。
1Fにはカフェが、2Fには新品や一部アンティークも揃うドアノブやスイッチプレート、照明などをうパーツショップとDIYレクチャールームも備え、3階は貸しテナントとして4店舗が入る予定です。4階はIROHA CRAFTの事務所として、5Fはイベントスペースとして、ふだんは交流の場として機能します。
BEEKではアメリカヤができるまでの日々を記録し、ロゴやサイン、ショップツールなどをデザインしていきます。アメリカヤビルのシンボルとなるロゴを今回デザインさせてもらいました。
屋上にあった看板をトレースし今の時代にあうあしらいを少し施した、ある意味そのままの印象が残るデザインです。
「AMERICAYA est. 50 years ago in 1967. Reborn in 2018.」
もちろんIROHA CRAFTだけの力ではなく、多くの人の手を借りて新しい人が集う場として生まれ変わります。千葉さんの想いとこのビルのポテンシャルが少しずつ多くの人に伝播していっています。
1Fにはカフェが、2Fには新品や一部アンティークも揃うドアノブやスイッチプレート、照明などをうパーツショップとDIYレクチャールームも備え、3階は貸しテナントとして4店舗が入る予定です。4階はIROHA CRAFTの事務所として、5Fはイベントスペースとして、ふだんは交流の場として機能します。
BEEKではアメリカヤができるまでの日々を記録し、ロゴやサイン、ショップツールなどをデザインしていきます。アメリカヤビルのシンボルとなるロゴを今回デザインさせてもらいました。
屋上にあった看板をトレースし今の時代にあうあしらいを少し施した、ある意味そのままの印象が残るデザインです。
そしてコンセプトロゴという、通常とは別の意味で使用するロゴマークもデザインしました。
AとMの文字を抜き出しています。beの一人称 amのAとM。誰かにとっての「存在する」「起こる」という意味の間に、線を引きその間にアメリカヤがあることを表すコンセプト。アメリカヤがあなたの生活の一部になれますように、という意味をこめて。AMERICAYAの頭文字を取り、階段を登っていくイメージもあります。
AとMの文字を抜き出しています。beの一人称 amのAとM。誰かにとっての「存在する」「起こる」という意味の間に、線を引きその間にアメリカヤがあることを表すコンセプト。アメリカヤがあなたの生活の一部になれますように、という意味をこめて。AMERICAYAの頭文字を取り、階段を登っていくイメージもあります。
アメリカヤは駅から歩いて数分の立地です。これからいろいろな人にこのビルを知ってもらい利用してもらえるように、デザインや編集の力でお手伝いさせてもらいます。韮崎という街の中心地、人を繋げることでよい空気を街に循環させていけたらいいなと思っています。