【ON READING/読む時間】 #019「もうひとつの居場所の話」

最近よく思うこと。
夜の時間に読書したり、物思いにふけったり、物書きなんかにちょうど良い場所が欲しいなぁと。家にいれば家族が見ているテレビの音に邪魔をされ、出かけたら出かけたで、例えばスターバックスみたいなコーヒーショップに行けば、そこそこ大きい音量で流れているBGMの曲の歌詞とメロディに耳を取られ、ファミレスはコーヒーがおいしくないし、バーは長居するとお金もかかる。そうなると自分の部屋にこもるのが一番なのかもしれないけれど、違うんだよなぁ。
行きつけの場所が欲しい。
そうしてちょっと飽きたら、なんとなく知り合いにばったり会ったりして話したり、自分の時間に戻ったり、つかず離れずが自然とできるそんな空間。

ジム・ジャームッシュの映画「パターソン」にも、バスドライバーをしながら日々詩作をする主人公が毎晩通う行きつけのバーがあったっけ。歩いて行ける距離にそんな行きつけがあるなんて、うらやましい限りだ。そういえば、そんな場所が外国の町に暮らしていた時にはいくつもあった事を時々思い出しては、あの町は良かったなぁと思う。

2001年から2002年にかけて、私はドイツのバイエルン地方の最北端にある「Hof(ホーフ)」という町で、語学学校に通いながらアパートの屋根裏部屋に暮らしていた。

Hofという町は人口約4万6千人くらい。
人口だけでいうと北杜市とほぼ同じくらいの規模の小さな町だ。
ドイツはそのくらいの規模の田舎町でも中心がギュッと詰まっているので、中央にはカテドラルのある教会があり、本屋も数百メートルおきに3軒くらいあって、映画館もデパートも大型スーパーもあれば、ファッションチェーンのH&Mだってある。カフェもあちらこちらにある。

その中でも一番好きな場所が「Galeriehaus」(ガレリエハウス)というカフェでありバーでもあり、ビアホールでもある店だった。
ここにはコーヒーとビールにちょっとした軽食メニューがあって、ここのチリ・コン・カルネ(チリビーンズと挽肉のスパイスとトマトの煮込み)は絶品だった。ビールと合わせて何度食べたか知れない。
ここのはちょこっとパプリカが入っているのが特徴で、このチリ・コン・カルネがあまりに好きすぎて、自分の得意料理にしようと思って今に至るくらいだ。(残念ながらパプリカは日本ではそこまで安くもないので、今作るときはパプリカ抜きだけど。)
そしてただおいしい食べ物と飲み物とお酒があるだけじゃない。
落ち着いた内装の広々とした店内では定期的に、朗読会やジャズライブ、アート展示も開催されていて、お客さんも文化的な雰囲気の人が多く、なんというか自由とカルチャーが根付いている空間だった。その中には屋根裏部屋もあって、ここは私にとっては最高に居心地の良い特等席だった。
低い天井に様々なライブのポスターが貼られ、秘密基地みたいなその席が空いていると、それだけで幸せな気分になれた。

ちなみに甲府にも桜座という様々なライブが行なわれている場所があるけれど、そこのエントランスのカフェエリアはなんとなく「ガレリエハウス」の空間の一部を思い出す。
そして私があの頃ドイツ語をもっと流暢に話せたら、知的な雰囲気の無口なオーナーのおじさんと、もう少し話が盛り上がったに違いないと思う。
おじさんとは、私がドイツ滞在中1度だけ、おじさんの奥さんと3人で一緒にライブに出かけたことがある。
行ったライブは、ドイツ人でもヨーロッパの人でもアメリカのミュージシャンでもなく、甲府の桜座でも毎年公演がある日本人のアーティスト集団「渋さ知らズ」の、それはそれは奇想天外で華やかなライブだった。
演奏中も終演後も、私とおじさんたちはほぼ口をあんぐり開けた様な状態で、そのステージに圧倒され、ただただ度肝を抜かれた。
帰りの道中、おじさんが運転する車の中で、全く想像を超えたステージパフォーマンスに3人ともなんとコメントしたらいいのかわからず、暗い夜道をなんともいえない顔をして戻った沈黙の時間を思い出すと、なんだかカウリスマキの映画のワンシーンみたいだと思う。
「ガレリエハウス」は特別な場所だ。
本を読んだり語り合ったり、手紙を書いたり、自分のもうひとつの部屋のような、文学と音楽を好む人々にとっての「行きつけの場所」だった。
気づけばドイツに暮らした時からもう20年近くも経ってしまった。先日ふと「ガレリエハウスは今どうなっているだろう」と、GoogleマップとFacebookで検索してみた。
店は今も人々が集い、カルチャーの発信地として存在しているようでホッとした。
お店のFacebookページのコメントに、英語で「ホーフの町の最高の場所」と書き込んだら、それからまもなく誰か知らないドイツ人が「いいね」を押してくれた。
それだけのことなのに、家以外のもうひとつの居場所だったあの店と、ドイツの小さなあの町がほんの少し近くなったような気がした。

[BOOK LIST]

「橙書店にて」(晶文社)

熊本市にある、知る人ぞ知る橙書店の店主・田尻久子さんの「猫はしっぽでしゃべる」「みぎわに立って」に続く3冊目のエッセイ集。
お店に立って感じた日々のことが綴られた田尻さんの文章は、どの本を読んでもまっすぐで、悲しい時なら黙って隣にいてくれるような、そんなさりげないやさしさと、芯のあるしなやかな強さを感じる。
本屋でもあり喫茶店でもある橙書店みたいな寄り道場所が近くにあったら、きっとたくさん通ってしまうだろうと思う。

石垣純子

Author 石垣純子

mountain bookcase 長野県出身。本屋mountain bookcase店主。お店は基本的に土日月オープン。平日は八ヶ岳山麓の「今井書店ふじみ店」の書店員もしています。 Facebook / Instagram

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