【心呼吸】#08 刻印岩探し/湯村山八王子山

珍しくどこもかしこも雨予報だったその日、甲府の八王子山を友人が案内してくれた。

スタートは緑ヶ丘公園から。
緑ヶ丘は母が生前お世話になった診療所がある。1歳の息子を抱えながら、余命1か月を宣告された母を山梨に呼び寄せ過ごした思い出が交錯する場所だ。その年の2月に父が膵臓癌で亡くなり、10月に母がスキルス胃癌で亡くなった後、しばらくは二人の思い出の残る場所には行くことができなかった。緑ヶ丘公園に足を踏み入れたのはとても久しぶりだった。
8ヶ月という短い期間に父と母が逝ってしまった後、見えてる世界はグレーになり、生きている心地もなかった。1歳の息子を育てていた私は、常に付き纏う眠さと初めての育児の不安、そこに覆い被さるような喪失感がごちゃ混ぜだった。目の前にはエネルギーに満ち溢れ、可愛いけれど決して手を休ませてはくれないチビ怪獣がいて、母の看取りで持てる力を出し尽くしてしまった自分とのコントラストがあまりに強くて、それをどう調整したらいいのかしばらく分からないままだった。ただひたすらにこの命を守らなくてはならないという自分の中に唯一残されていた使命感のようなもので、なんとか日々を過ごしていた。いつになったら涙が出なくなるのだろう。いつになったら世界は色を成していくのだろう。早くこの抜け殻のような世界を抜け出したい。そんな風にしか思えなかった。

息子が1歳の時に彼らは亡くなったので、いつも息子の年齢から1を引いて、何年経ったのか計算している。今19歳になった息子がいる。ということは18年が経過したのだ。生まれたての赤ちゃんが成人するまでの時間だ。悲しみは時に怒りとなり、いつの間にか誰にも優しくなれなくなっていた当時の私に言ってあげたい。大丈夫、ちゃんといつか立てる日がやってくるよ。柔らかな空気を感じ取れる日が来るよ。随分と時間はかかるけれど、優しさに気がつける日が来るよと。

______

湯村山に向かって歩き始めると、ほどなくして後ろから年配の男性がガサゴソと音を立てて追いついた。「この山にはね、『寺』っていう文字が彫られた岩が13個あるんだよ」そう彼は言った。突然現れたその方(仮で泉さんと呼ぼう)に驚いたけれど、泉さんはお構いなしについてきてと言わんばかり。私たちは訳も分からぬまま、泉さんについていく。泉さん曰く、麓にある法泉寺の敷地を示す為に昔彫られたものじゃないかと言うことだ。

探し出してしばらくすると確かに「寺」の文字が大きく彫られた岩があった。「ここは3ヶ所目!4ヶ所目は分かりにくいんだよ!」などと呟きながら泉さんは楽しそうにずんずん進む。木の枝が阻む道など彼は気にしない。「昔は八王子山まで行ったんだけど、怪我しちゃってさ、今は行けないの。」トレッキングポールを突きながらそう言うけれど、ものすごい早足で、私たちはついて行くのが精一杯だ。



いつの間にかオリエンテーリングをやっているような気分で泉さんとの文字岩探しをしているうちに湯村山の山頂付近に辿り着いた。ベンチがあり、そこには泉さんのいつものお仲間が数人座って休憩していた。

「今ね、この方たちにね寺の岩を教えながら歩いてきただよ。」
「あーあれね11個あるんだよね」

あれ?13個じゃなかったんでしたっけ?

どうも彫られた文字は寺だけではなく、他にも「奥村」や「竹庄」などがあるようだった。泉さんに出逢えたお陰で思ってもみなかった楽しい時間を過ごすことができた。




湯村山の手前で泉さんとはお別れして、私たちは八王子山へ向かった。途中で出会った女性に岩の話をすると、彼女は「聞いたことある、9個あるって言うね!!」皆言うことが見事に違う。


山頂手前の東屋でお昼ごはんにし、甲府盆地を見下ろした。標高は600m程だけれども、しっかり高度感を感じることができる。山頂に着くと、神社の鳥居の向こうから声がした。「天気悪いから誰もいないかと思ったわ!」そう話しかけてきた方は80代の女性。千代田湖から毎日登っているのだそう。「すぐだから」そうおっしゃるけれど、果たして自分がその年齢の時に同じことができるだろうか。

下山の途中で出会った女性も80代だった。
「もうこの歳だもの、前を向いて生きていかなきゃじゃない。」にこやかに笑った彼女はとても肌がつやつやしていて、素敵だった。私ももしおばあちゃんになれるなら、そんな風に言っていたい。彼女もほぼ毎日この山を登っていると言っていた。途中から降り出した雨の中、滑りそうな木の根っこがある急な坂道をひょいひょいと下っていった。

まるでお伽話みたいに、次々と出逢う個性溢れた年配の方々。もう少し歳を重ねた時、近所の山に毎日登って、いつもの顔ぶれと挨拶する、そんな日々を思い浮かべてみたら、とてもいいなと思った。生き甲斐なんて言うと少し大袈裟かもしれないけど、暮らし甲斐とでも言うのだろうか。こんな山が近くにあるってとてもいい。近所の方々が羨ましい。



あって当たり前のことなんてひとつもない。頭では分かっていても、人間というのは忘れていく生き物。目の前にある見慣れた風景は、当たり前になりすぎて、無くした時に初めて気付く。そしてその存在の有り難さをまた思い出す。全ては小さな奇跡の積み重ねで、数え切れない喜び悲しみが折り重なって、今という瞬間がある。そのことを忘れてはいけないと自分に言い聞かせる。その繰り返し。そんなことをしみじみと感じた八王子山なのだった。

白倉美織

Author 白倉美織

八ヶ岳南麓暮らし。山と写真と読書、ときどき美味しいものがあれば幸せ。 Instagram

More posts by 白倉美織