BEYOND NO MOUNTAIN on Radio BEEK #11

By 2020.04.26COLUMN, RADIO BEEK

今週はソーシャルディスタンスを遵守しラジオ収録ではなく、へちま店長とBEEK編集長のながら作業に最適なプレイリスト(もちろんおすすめ曲満載なのでしっかり聴き込んでくれても嬉しいです)と、音楽&映画レビューとなりました。
StayHomeには、音楽や映画や本がかかせません。TOGOごはんやおうちごはんでカラダの栄養を、音楽や映画や本で心の栄養をとって、元気に日々を過ごしたいですね。

 

へちま店長 山本 プレイリスト「Blue Freglance」

 

BEEK編集長 土屋 プレイリスト「BEEK LifeStyle」

Minnie Riperton 「Alone in Brewster Bay」

 

好きな音楽を聞いていると、嬉しいときはもっと嬉しく、悲しいときはもっと悲しくなる。そういう音楽が好きだ。音楽に救われるということは、そういうことだと思う。コードで言えばメジャーセブンス。Cの人差し指をそっと外して、爪弾かれたときに改めて気づく。ソラの上にはシがあるのだと。

家から見える裏山が、毎年いつの間にか萌黄色に染まっている。ついこの間まで黒い枝のシルエットだけの丸裸だった山が薄衣を身にまとい、少しおしゃれを楽しんでいるようで嬉しそうに見える。その先に光のような空が見える。薄衣の先に、さらに薄雲をまとった空。それでも少し青い。空の上には死があると思う。他界した父はいつもそこにいる気がする。辛いときも楽しいときもダメなときも、そこで見ている気がする。優しく見守られているのでもなく、監視されている緊張感もない。ただそこで見ている。空の上には死があって、見ている。ここでドが出てくればうまい話なのだろうけれど、そういう話ではない。(土は一番下にあるけれど、そういう話ではない)

空には鳥が飛んでいる。スズメやムクドリのような普通の鳥がチュンチュンと鳴きながら何羽か戯れている。電線や、隣の家の屋根の上を、楽しそうに行ったり来たりしている。我が家のハナミズキも白い花を咲かせた。その根本には終わりかけのムスカリやクリスマスローズが見える。例えばあのハナミズキから裏山までの間にも、ウイルスはいるのだろうか。

“空を駆けてくような気持ち良さ 体いっぱい浴びる御日様の日溜まりの中 今を生きる 自分のリズム掴み 風を吹かす”

テラスで穏やかな春の午後を過ごす。けれど大きく深呼吸はできない。空の上には死があるけれど、空の下には何が飛んでいるかわからない。目に見えないというのは本当に厄介だと思う。テラスでも音楽を聞いている。鳥の鳴き声が一瞬スピーカーからなのか本物なのかわからない。さわやかなアコースティックギターのリフが聞こえるとテラスからの景色がブリュースター湾に変わる。どんなところかは知らないけれど、きっと物悲しくて、肌寒い風が吹いている。目を閉じてもそこには空がある。その空にもやっぱり死があって、いつもと変わらずに見ている。嬉しい感じでも怖い感じでもない。

text by へちま山本

エミール・クストリッツァ「UNDERGROUND」

 

映画を観ることは、どこかの誰かの人生を2時間あまりにぎゅっと凝縮したストーリーとして俯瞰して見ていることだと大人になって思うようになりました。
もちろんSFやホラーなど、いまこの文章を読んでいるみなさんと共有する現実世界にはない世界設定もありますが、たまたまぼくが生きている世界にないだけで、もしかしたら歩んでいたかもしれない世界と思うことができるし、人生とはそのくらい曖昧なものだと思うことがあります。
いまこの文章を書いているアメリカヤ屋上におじさんの天使がいるかもしれないし、車が数年後トランスフォームするかもしれないし、LEONという名の殺し屋に狙われるかもしれないし、2001年宇宙には行けなかったけど、地球のどこかでモノリスが見つかっているかもしれないし。
そんなこと思うのもたくさん映画を見た影響だろうし、人生に幅を持たせられるという意味ではとてもなくてはならないものだなと思っています。

話は脱線しましたが、エミール・クストリッツァという監督の映画がぼくはとても好きです。
紛争や戦争を題材にすることが多いのですが、その激動の人生の中で揺れ動く“人間らしさ”があらわになるところにグッと惹かれるのです。
最近コロナ禍で、人間らしさや人の営みとは何か、なんてことを考える人も多いのではないでしょうか?
考える時に「人間とはなにか」、そんな命題が必要になります。その命題には深沢七郎やクストリッツァ含め、多くの人たちがそれぞれの解釈で表現しているのでしょう。

「昔、あるところに国があった」
この冒頭からはじまる「UNDERGROUND(アンダーグラウンド)」という映画では、フランス、ドイツ、ハンガリー、ユーゴスラビア、ブルガリアの合作で、第二次世界大戦からユーゴ内戦まで、ユーゴスラビアの激動の歴史を描いています。実際の記録映像に主人公たちが紛れ込み登場するという合成カットもあります。

物語は歴史や政治的背景に詳しくなくても問題なく見れるし、悲劇と喜劇が手をとりあってダンスをしているような映画では170分ちょっとがあっという間です。ストーリーもさることながら、随所に出てくる民族音楽の狂騒、そしてダンス、違和感感じるくらいに随所に登場する芸達者な動物たちにも心を掴まれます。地下で飼ってるチンパージーのソニが最後名演技を見せますよ。音楽もやまかしいくらい、でも生きるうえで音楽の大事さが描かれているのがとても印象的です。みた後しばらくリフレインするくらいしつこくキャッチーに音楽は流れます。

悪人も善人も、それぞれに言い分があるし、一言で良いも悪いも言えない愛嬌や怠惰な部分を持ち合わせています。この映画に出てくるすべての人(セリフがなくてもこの物語に中にいる人すべて)に、「人間らしさ」が纏われている気がします。

先日このラジオで映画のことを話す回で、へちま店長が映画のことを「音楽も映像も物語もある総合芸術」と評していました。映画を映画足らしめているのは、この総合芸術が機能するということなのかも。

ラスト、地下を抜け出した先にある楽園での大団円。人間だけでなく動物達の群れも川を渡り、光溢れる太陽の下でのウエディング。暗闇を抜けて希望や平和を願う映像は今この世界の状況で見ると感慨深いはず。
狂気とは精神を逸脱した感情と言われますが、人間に宿りしひとつの感情だとしたら目を反らせないはずだし、この映画はしっかりとそこにも目を向けて、人間を賛歌してくれる映画なのではと解釈しています。
監督の別の作品の「オンザミルキーロード」や「ジプシーのとき」でも一貫してその姿勢は垣間見れます。
誰しも地下に引きこもり、そしていつか地上に出るべき時がくる。

あるところの国の生き様を170分で見た僕は、この今の人に会えない世間の喧騒もいつか晴れて、光がさす場所にたどりつけると心から思えるのです。

text by BEEK土屋

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