【ON READING/読む時間】 #029「花と花瓶」

この春から娘が和歌山の高校へ進学するため家を出て、山の中の学校で寮生活を送っている。
4月のはじめに彼女を寝具や衣類と一緒に和歌山へ送り届けて家に戻った翌日、食卓やリビングのいつもの席や、バスルームの棚や歯ブラシスタンドにちょうどひとり分の空白が空いてしまった家の中で、彼女は花瓶の花のような存在だったのだなぁと思う。
花や植物というものは、そこにあるだけでその場の空気を和ませてくれる。
花が枯れてしまって取り出して花瓶だけになった時、花の存在というものがより一層わかるものだ。
その空白は、単に「寂しい」というのとはまた少し違うような、なんだか「物足りない」に近いような感じ。
娘が夕食時にいつも聞いてきた「お昼何食べた?」からはじまって、学校のことをたっぷり話して聞かせてくれた時間がぽっかりと無くなってしまって、私はその空白にまだまだ慣れずにいる。
時々用事があって娘のLINEにメッセージを送ったりもするが、ちょっとしたことを確認したり、おもしろい記事を送りつけたり、すぐに既読になるかどうかは別として、そんなたわいのないやりとりができることですら、便利になった時代をありがたく思える。

そして、GWの休暇に家に戻ってきた娘との1週間は、あっという間に過ぎていった。
どんな日々を過ごしているか興味津々の私に彼女はいろいろ話してくれた。
学校も授業も大人たちもとてもおもしろいらしく、フランス語など新しい科目もいろいろ始まったようで、初めての寮生活も朝食が多すぎる意外は問題なく、新生活を楽しんでいることに安堵する。
環境の変化に馴染みやすいのは、友人たちや人に恵まれていることはもちろんだけれど、私と行き当たりばったりの旅をしてきた経験も、ある程度は役に立っているんじゃないかと思いたい。

休み中は外食に行くよりも家でごはんを食べたいといってくれたので、私も夫も彼女が好きなものをいろいろ作った。
唐揚げ、ミートソース、玉子焼き、肉豆腐などなど。玉子焼きは特に彼女が好きな我が家の味だ。
そんな普段通りのごはんを食べながら、平凡な日常の中にある幸福というものを、我が身に染み込ませるように味わった。
幸福を味わいながら時折ふと思い出すのは、娘が小さかった時のこと。
娘は1歳8ヶ月の時、私も夫も感染していないのにどこからかO-157に感染し、生死の境をさまよった。
最初はウイルス性の胃腸炎かと思っていた症状が急変し、救急車で向かった市立病院では手の施しようがないと、さらに大きな病院に搬送された。
集中治療室のベッドの上で、輸血をはじめ全身さまざまなチューブに繋がれ、むくんで膨れた彼女の小さな体はもしかしたらもう2度と元の姿には戻らないかもしれないと思われるほど変わり果てて頼りなく、私たちはただただ娘の生命力と病院の治療を信じて、絶望の淵でひたすらに祈り続けた。
奇跡的に娘は助かり、数ヶ月の入院と数年にわたる経過観察を経て、後遺症も残ることなくすっかり回復して今がある。
あの時、絶望の淵を行ったり来たりしたことを、ことあるごとに思い出す。
人は死と隣り合わせに生きているのだと実感し、命があることに心から感謝した。
あの経験を境に、娘と悔いのない日々を送ろうと思った。命の重さに触れた時、人は誰しもそんな風に思うのではないか。
ひとりっ子の彼女の心の支えになるような自然や、人との出会いや、誰かと比べたりしなくとも自分を肯定できる幸福や、そんな人生の根っこの日々をこつこつと積み重ねられる環境をなによりも大切にしたいと思いながら歩いてきた。
その道のおかげで、これまで見ることができた景色にとても感謝している。

休みが終わって娘はまた和歌山の学校へ戻って行った。
リビングに置いて行った本をまとめて彼女の部屋に持って上がったら、自分の部屋だというのに今までと違ってベッドの布団が律儀に畳まれていて、なんだかクスッと笑ってしまった。
この春の変化を通して、家族がそれぞれの生き方や暮らしを改めて考えるきっかけになったのかもしれない。
誰かや何かの不在や不足が、そのもの自体の重さを教えてくれるように。

[BOOK LIST]

『空を見てよかった』 (内藤礼/新潮社)

どこまでも透明で、すべてがそこにあると思えるような静謐な文章。作家の意思で置かれた行間と空白。
瀬戸内海の豊島にある「豊島美術館」の作品で知られる、美術家の内藤礼さんがこれまでに書いて来た詩や散文などをまとめた、言葉による作品集です。
「豊島美術館」は、一本の糸が揺れる様子から風の姿を感じ、静かに水が移動してゆく空間で、その場にいるそれぞれが静寂の中で物思いに耽り、いつもとは世界の見え方が変わるような時間を過ごすことができる場所。
家族で最初に豊島を訪れた経験は、互いの中に消えることなく、心を潤し続けてくれる記憶です。


[BOOK LIST]

『246』 (沢木耕太郎/スイッチパブリッシング)
※新潮文庫版も有

ノンフィクションから小説・児童書まで幅広く手がける作家の沢木耕太郎さんが、1985年に創刊した雑誌「Switch」の初期の頃の号に連載していた日記を20年の時を経てまとめた一冊です。
著書ではほとんど語られることのない沢木さんのプライベートや、小さな娘さんとのやりとりがほほえましく、このエッセイを読んで、私も写真だけでなく子どもが小さかった頃の日記や文章を残しておけばよかったと思いました。
間に合う方は今からでもぜひ。


石垣純子

Author 石垣純子

mountain bookcase 長野県出身。本屋mountain bookcase店主。お店は基本的に土日月オープン。平日は八ヶ岳山麓の「今井書店ふじみ店」の書店員もしています。 Facebook / Instagram

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