【ON READING/読む時間】 #012「ことばの収集」

私にはいろんな収集癖がある。
といっても、どの収集に至ってもコレクターになれるほどの詳しさもなければ、奥深さがあるわけでもない。
それはモノであったりもするし、写真に撮って収集されたりもする。形式も様々だ。
収集癖のある人は心理学的には一体どんなふうに分析されるんだろうか。

私の収集癖には継続性がない。それはある日突然はじまって、なんとなく移り変わっていく。
はじまりは保育園の時に集めたキーホルダーや、ビー玉だった。小学生の時には当時流行った消しゴム集め。3年生くらいの時には、蒸気機関車(SL)の形をしたお酒の空瓶をもらったことから、SLグッズを集めたりしたこともあった。
中学生になると、中身は父親に飲んでもらって、様々なデザインの外国ビールの空缶収集にはまったが、ある日国産ビール好きの父親から、外国ビールの味が好きじゃないからもう協力できない、と言われて諦めた。
その後は短波放送が聴けるラジオがたまたま家にあったので、それでハワイやらロシアなど外国の短波放送を聴いて、放送局に受信状態などのレポートを送るともらえる「ベリカード」というものの存在を知って集めはじめたりもした。
今みたいにネットですぐにどこの誰とでも繋がれる時代と違って、当時、外国に友人もツテもない私にとっては、それはとても夢のあるカードだったのだ。
ただ、実家は高い山々に囲まれている土地なので、電波が悪すぎて実際聴けるラジオは少なく、この趣味もわりとすぐに終わってしまった。
その後、高校進学と同時に親元を離れたので持ち物を増やすことがあまりできなくなり、私の収集癖は一旦停滞期を迎える。

それで現在。あげていったらやっぱり雑多だ。
形のあるものの収集としては、いろんな場所の様々な石、鮭をくわえていない木彫りの熊、目盛のついた計量カップ、トー トバッグ(今は主に本屋のもの)、誰かに宛てて出された古い絵葉書などなど。

一方、形の無いものというのは、写真に撮って集められた対象物たちだ。
ぽっかり浮かんだ浮雲の写真(写真家のアンドレ・ケルテスはそんな雲のモノクロ写真に”lost cloud”とタイトルをつけた。)、各地のうどん、夏なら冷やし中華、自分で積んだ石積み、配管、定点写真モノでは、一番好きな「一刀斎」のカレーの記録と、仕事で雑誌の配達にも行っている「茶房まつざき」の700円定食の記録がある。
多分他にも、本人ですら忘れているコレクションがあると思う。

そんな私が最近すっかり魅了されているコレクションはモノでも風景でもない。『ことば』である。
以前から、BASSUI BOOKS(抜粋ブックス)というタイトルで、文庫本の表紙がわからないように袋に入れ、その本から抜き出した文章をパッケージに手書きしたものを作って販売していたのだけれど、文章を抜き書きするという作業は実に楽しい。その文章を前にして、思わずハッとさせられたり、考えさせられたりする。

残念ながら、BASSUI BOOKSとして作ってきた袋に手書きしたものは、スマホのメモにも記録してこなかったのだけれど、せっかくの言葉との出会いが残らないのはもったいないなぁと思えてきて、あとは、丁度今年の秋に都内のショップで「ことばの収集」というタイトルで本の販売をした時に、本から抜粋した文章を白地に縦書きでレイアウトしたカードをたくさん作ったので、これを掲載するインスタグラムのアカウントを作ろうと思って、11月から日々投稿している。
(www.instagram.com/kotobanoshushu)

心に留まった、たった数行の文章を収集するということは、さながら海辺を歩きながらの石拾いのようだと思う。
とすれば、「読書」というもの自体も散歩のようでもあり、発掘のようなものにも思えてくる。
小石のように様々な形や手触りのことばを見つけるおもしろさや喜びは、自分の人生を通して終わりのない収集になるような気がする。
本にはまだまだ無限の愉しみが詰まっている。

[BOOK LIST]

孤独の愉しみ方/ヘンリー・D・ソロー

160年以上も前に書かれたソローの「森の生活」からのことばを、わかりやすく抜き出してまとめた1冊。
今も昔も人の暮らしにおいて、大切なことの本質は変わらないのだということがよくわかります。


本を贈る/三輪舎

作家から出版社、印刷、本屋まで、本に関わる10人によるエッセイ集。これを読むと、本がこんな風に人の手を通して書店に並ぶのかと知ることができます。そして、本というものの存在が愛おしくなります。