− わたしのしごと − 堀井俊彦(農夫)

By 2017.12.03PEOPLE

日本有数の桃の生産地、笛吹市一宮町。この町にある宝桃園は、親子3代に渡り桃や葡萄をつくっています。ここで桃農家として働く堀井さんは、千葉県で生まれ育ち、20代後半まで東京で働いていました。同じ職場で出会った奥さんの実家である桃園の後継者がいないことを知り、結婚を機に桃園を継ぐ決意をしたといいます。その当時、初めて食べた山梨の採れたての桃に驚き、これは残して伝えていかなければならないと直感的に思ったそう。東京での仕事も辞め山梨に移住しましたが、もちろん農業経験はゼロ。最初は地元の桃の名人と言われるような人に教えを請い、10年かけて身体や感覚を働かせ覚えていきました。

「10年くらい経って、教えてもらったことが感覚としてやっと理解できるようになってきた。今はようやく土台ができたところで、スタートラインでしかない。ここから自分のエッセンスをどう加えていくかが勝負。桃は1年に1回しか作れないからあと30数回しかチャンスがないんだ」と、毎年ひとつひとつの桃の木に真剣に寄り添いながら作業に勤しみます。長年にわたる土壌改良や低農薬で果樹に無理のない育成を心がけ「安心,安全は当たり前のこと」と言い、家族経営の小さな農園で出来ることを真摯に続けていく『バランス』を大事にしています。宝桃園の桃の出荷は、ほとんどがお客さんへの直送。なるべく新鮮で美味しい状態で届けたいとの想いから、朝に収穫した完熟桃を即日発送しているんです。

 

自然との調和から生み出される桃づくりは、人と人との関係性も育んでいる。宝桃園には自然と多くの人が集まる。繁忙期には、県内外の友人やお客さん、宝桃園の桃を取り扱う飲食店の人々が自発的に収穫の手伝いに来てくれることも多いのだとか。最近では、関わる多くの人に感謝をこめて、春に桃の花が咲く畑でお花見を、秋は収穫の感謝祭を仲間と一緒に開いています。山梨の自然や農産物、人や文化などに、住む地域も職種も違う多くの人が出会える場になってきました。山梨に来るまではまったく想像しなかった豊かな暮らしがここにはあると言います。


「僕は百姓として田舎でも充分食べていけるということを標したい。都会から山梨に来たい、戻りたいって人はいるけど、仕事がないとなかなかできない。そういった人のモデルケースになればいいし、農業というしごとの選択もあるよって。ただ、都市と田舎の真ん中で生きるのが理想。田舎としてのアイデンティティを僕らは持ち、田舎と都会の人がちゃんとした文化交流をしないとね。そうすることで、いろいろな考えや手段がそこに生まれる。人が人に作用する、共存共栄ができるような豊かさの本質をこれからも求めていきたい」


宝桃園
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