凡そ日記_2022.1月

2022.1.3

なつとゆうきさんとコメダに行く。
そろそろ、自給自足に向けて種を集めようと決心して、育てたい野菜リストを作った。
なつめに食べたい野菜を聞いたり、ゆうきさんにあげたい果物なんかを考えたりする時間はとても幸せだった。

2022.1.5

時々、ちょっと一人でいたいなと思う。ゆうきさんが家に来て二週間くらいが経つ。別に彼がいることが嫌なのではない。
兄を東京へ送る為、母の車に僕も乗った。
帰り道は母と様々な話をした。僕らは本当に生きづらいね、と。
いつも、僕は深刻な話をしてしまう

2022.1.6

早川町の日照時間のことがやはり気がかり。
明るいところに住みたい、そんな当たり前の感覚を今まですっかり忘れてしまっていた。もっと自分の感情に向き合ってあげなくちゃ。
そういえば富士川町ってどんな場所なんだろう。前々から気になっていたけど調べていなかった場所。様々なことが気になり出して調べ始める

2022.1.7

ゆうきさんと風呂で話した。
僕らは地球に依存しているか、社会に依存しているか
そんな話をした。今度風呂入っている時の会話録音して文字起こししてみようかな〜

そういえば、いつの間にかゆうきさんは僕らの家族になっていた。僕はねえ、そのことが本当に嬉しかったんだ

2022.1.8

ふら〜っと長野へ遊びに
リビセンは凄かったな〜ゆうきさんを長野へ連れて行けてよかった。京也はあまり元気がなかったな

2022.1.10

台湾の友人のツイートに「おはようんち」とメッセージした。Twitterを使うなんて結構久々だ。

ふと、友達との中国語でのメッセージのやりとりをみる。
ああ、確かにあんなことがあったのだと、それらが日本語ではないところに少しばかり新鮮さを感じてしまった。それがどんなに辛いことか。
僕はこういった感情と、恐らく、暫くの間は向き合えないだろう。そうしてそのまま、何年か過ぎてゆく。まるで人生みたいだ。
僕が過ごした台湾は永遠に18、19歳なんだ。皆んなは気づいたら何歳になっているかな。
僕が「思い出す頃」はもしかしたら、きっと僕たちはおじいさんやおばあさんになっているかもしれないね。

この間、書類を整理していたら、友人が僕が帰国する際にくれた手紙をみつけた。1年ぶりに読んだ手紙を、日本語で書かれたその手紙の意味を、僕はようやく理解することができた。もう既にあの頃話していた言葉の幾つかを忘れてしまった僕にとって、忘れられない「ひと」がいる。それはとても不思議なこと。今、偶然彼らに出会ってしまったら、僕はきっと黙り込んでしまうだろう。

今日は感傷的な夜だ。たまにはこんな夜もいいと思ってしまった(二、三日に一度くらいは訪れるがね)

2022.1.13

今日は花蓮でお世話になった八木さんが遊びに来た。
台北であったゆうきさんと、花蓮であった八木さんが僕の目の前にいる。
3人でそれぞれの初めまして とそれぞれの現状を話したりする。
一緒に風呂にも入った。代わりばんこに湯船から出たり入ったりするのが、タイミングも良かったせいか、なんだかとてもいい時間だった
こうして大切な人が僕に会いに来てくれるのは嬉しいな。今度は大阪に、八木さんに会いに行きたいな。

2022.1.15

ゆうきさんと一緒にマルシェを開催することになる。

2022.1.16

祖母 「今度の同級会が中止になっちゃった。」
僕 「まだ皆んな生きてるだけ?」
祖母 「三分の一くらいになっちゃった。」

祖父が大切に育てていた、もちトウモロコシの種を祖母から譲り受けた。

 

2022.1.17

ゆうきさんがメッセージをくれた。
たかやは色々気づいてしまうんだと
俺は感情に気付くのが遅いから、今朝起きて仕事に行くのがしんどいなと自分の感情に気づけるたかやはすごいよ と

僕はそんなの当たり前だと思ってた。だって僕からしたら毎日だもの。何をしていたって朝は辛かった。朝起き上がることは僕には辛かった。

そっかー、僕は色々気付くのだろうか、気付いているのだろうか。
ゆうきさん、僕はゆうきさんに幸せになってほしいよ
傷ついちゃいけない人間なんていないんだから。
傷ついたらいつでも僕を頼ってよ、僕もそうするからさ
人間なんて、そうするしかないんだから
弱いんだよ。僕たちは

今は、とにかく気の抜けたような春が待ち遠しい

2022.1.19

ふと、淋しくなる夜を僕は誰より知っている。僕はさみしい人間だ。
ああ、さみしい夜を、僕は何度も乗り越えてきたんだなあ

僕は今日、一つの見解を得た。
感動とは、トラウマそのものだいうこと。
一体、人ってのは生きてく上でどれほどのトラウマを抱えながら生きていかなくちゃいけないんだ。
最近自分自身が心を動かされるものについて考えるとき、そこには必ず僕自身が足りていなかった、というより整理できなかった感情に対して思うことがある。ということに気づく。

そうしてほんの少し、その感情と向き合うことにした。
瞬間だった。なんだ、僕は別にいつ死んだっていいじゃないか。そんな、陳腐な答えが、すとんと肩の荷を下ろすように見つかった。
リルケ、彼の言葉を思い出そう。ああそうだ。僕らの最高潮はいつだって、あの少年時代にあったじゃないか。僕は忘れてしまっているだけなんだ。だから、僕は思い出す作業をしなくちゃいけない。そう、いつだって子供たちは答えを知っていた。僕は大人になってしまったんだ笑
さようなら、ぼく。ある音楽を聴きながら、そんなことを思った。ほんと、さよならなんだ。淋しくなってきた。退屈している

2022.1.20

富士川町へいく
素敵な方に出会うことができた。その町に1人。たった1人でも心から信頼できる人がいれば、そこは最早僕にとって「住んでいい」場所になるのだろう。

2022.1.22

今日はなつが泊まりに来た。勉強したりご飯食べたり、忙しそうに笑ったり。
やはり夏芽は、僕の専属お笑い芸人です。


2022.1.25

ゆうきさんの勧めで、映画 ファイト・クラブを一緒に観た。
観終わったあと、隣にいるゆうきさんが自分自身なのだとわかった。ほう、一体どこから何処までが作り物なんだろう。「僕がゆうきさんを呼んだんだ」
そう、ゆうきさんは今一月ほど家に居候している。
ゆうきさんは、「僕のなりたい理想の姿?」
僕の10年後なのかもしれないと考えたらちょっと可笑しい。

ちょっと、時間は未来から過去へ流れている、ということの意味がわかった気がして、それを伝える。

ゆうきさんが言った「たかやが俺に会いたかったから、俺が産まれたんだよ」

「僕が寂しいからゆうきさんと会っている」
「寂しいからビックバンは起きた」

それからは、なんだかゆうきさんが怪しげな言葉で僕を挑発してきて面白い笑

これだから芸術ってたのしい。たったの120分で人生ひっくり返ってしまうのだからなあ

節子と風の又三郎兄さん、僕とゆうきさん。
そんな、大切なことに気付かされた。

2022.1.26

今日は2月に行われるマルシェについて文章を書いた。
誰もがわくわく出来るマルシェ、そんなことを考えるとさまざまなアイデアが出てくる

「メニューのある店が退屈なように」

デパートに行ってふと、あれ、私は何が欲しかったんだろう?なんて思ったことはありませんか。
「何でもある」店、そんな風景を僕はちょっと想像するのです。
こんな社会で、「意味のないもの」を競いあったって仕方ない。僕は、一年や二年で捨てられるものには興味がないんです。ちゃんと、自分の持ち物にそれぞれ意味を持たせたい。いや、誰もが持ってほしいのです。何よりわかりやすいことでしょう?

結局、僕は思い出が好きなんです。縮れたセーター、穴の空いた靴下、偶然拾ってしまった誰かのノート、無料の「ご自由にどうぞコーナー」
どうしたって、僕らはそんなものに愛を感じてしまうんです。だってほら、皆さんもし大好きな芸人の使っていたネタ帳なんてあったら、欲しくて堪らないでしょう?それと同じことなんです。

顔見知りとの乾いた挨拶、言葉の入る余地のない所の共通理解、その上で起こる誤解、僕はそんなものを愛していきたい。ちゃんと、許していいんだ。

さあ、そんな場所を作ってみました。これを踏み台にして、あなたも大切な何かを誰かに渡す「きっかけ」にしてみては如何でしょう
僕が望む世界は、そんなもんです。一緒に何処まででも行きましょ~

https://wakuwaku-marche.studio.site/

2022.1.27

今日はマルシェを開催するにあたり、僕にとって大切な人にメッセージをした。久々な人もいた。懐かしい人もいた。僕は大切な人と全然連絡を取っていなかった。 早く日常が来るといい。そして僕もちゃんと日常を思い出したい。皆んなから返ってきた返信は、僕を本当に、心から幸せな気持ちにさせてくれた。

2022.1.28

半年に一度くらい、何でもないことをきっかけに生きていて良かった。と心から思える時がある。
僕の場合、それはほとんど自然(風、植物、陽光)などからではなく、人のあたたかさ。いや、人と会話しているときにふと感じるものである
それ以外は大体、僕はどうして生きているんだろう?だ。
ただ、僕は半年に一度、やはり生きていて良かったと思うのである。大嫌いである人間に、心から感謝し、やはり、愛してしまうのである。
僕はそんな矛盾を、最近では本当にまるごと好きになってしまった。

僕は生きていて良かった。そう、生きていて良かったのだ。

たぶん俺は自分の為には生きられない。
「皆んなの笑っている姿、その時間」その為だけに自分は想像力を働かせることができるのだと思う。

電気工事士の試験の合否確認をネットでする。
「合格一覧にあります」そんな文字の羅列が僕をがっかりさせた。んーなんだろう、拍子抜けしてしまった。こんなものだ、と。つまらないことに時間と金を費やしてしまったかなと不安になる

2022.1.29

マルシェの為の物拾いday

大菩薩、笛吹川、その他公園などへ行きガラクタを拾い回った

2022.1.31

こんな写真がずっと残ればいいなと思う。僕の「役目」なんてそんなものだと思う

馬渕尭也

Author 馬渕尭也

2001年生まれ。山梨市出身。高校時代から周囲の人たちのありのままの姿や風景をフィルムカメラで撮っている。 高校卒業後台湾へ留学。帰国後の現在は、農業をしたり、地域の読書会に参加したりと、様々な場所をウロウロしながら生活というものを日々模索している。好きな作家は深沢七郎 Facebook / Instagram

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