【ON READING/読む時間】 #014「退屈しないための種」

先日、父の通院に付き添いで行ったとき、待合室で父が「病院は待ち時間が長くて嫌だなぁ。」とつぶやいた。私はそんな父の気持ちとはうらはらに、「待ち時間が長くても、意外と退屈じゃないなぁ。」と心の中で思っていた。ちょうど続きが読みたくてたまらない本があったから、むしろ病院の待ち時間のような、拘束された時間があるほうが、読書がはかどるのだ。

確かに熱があったり、痛みがあったり具合が悪いときは待合室の本もテレビも何の役にも立たない。何もいらないから早く診察を終えて、家でゆっくり横になりたいと思う。
といっても、その日の父は具合が悪かったわけでもなく、検査と診察だったから、退屈しのぎのテレビなり本なりに興味がわけば、待ち時間も少しは短く感じられたかもしれない。
今はまだ病院の待合室にはスマホが使える世代は少ないけれど、十数年後スマホが使える世代が年をとったら、病院の待ち時間ですらもしかしたら退屈知らずになるのかもしれない。

同じ時間でも長くてつまらないと感じるかどうかは、その人の退屈や忙しさの度合いと深く関わっている。退屈を超えてゆくには好奇心が必要なのかもしれないけれど、好奇心が湧き上がるほどの気力も、年老いた父にはその体力の衰えとともにそれほど残されてはいない。そんな父は、必要なものを少しずつ減らしながら、彼の人生を生きている。

ここからは身延線の各駅停車に乗って、伊豆へ向かっている車内でのこと。
同じ車両にいた60代の夫婦はおそらく時間を間違えてうっかり各駅停車に乗ってしまったらしい。
二人の不満オーラは時間とともに増し、身延線は一駅ごとの停車時間がとても長いので、ついにはご主人の方が、遅いだの、どうして乗り間違えてしまったのだのと奥さんだけでなく、周りにも聞こえるような声でグチりはじめてしまった。

その日も本を読んでいた私は、それを聞きながら「よっぽど急いでいたのかなぁ、でももう仕方ないのだから、その現状を受け止めて車窓を楽しむとかしたらいいのに。」と思っていた。
その年配の男性は退屈を怒りに変えて、彼が持て余した時間を埋めていた。
誰が時間をどう過ごそうと自由だし、私にはどうでもいいことではあるけれど、不満や怒りがすこしでも少ない方が楽しく生きられるとは思うし、できればそうありたい。

そんな中、たまたま哲学者のアランの言葉に心がとまった。『楽しめることが能力の証である』という一節だ。
楽しめるってことは「能力」なのか。
つまらない時間を楽しくするのも、つまらないものをおもしろくすることができるのも、すべては心の持ちようなのだと、そういえば昔引いたおみくじにも似たようなことが書いてあったっけ。

父の病院の待ち時間や、各駅停車にイライラしていたおじさんにも、退屈が楽しみに変わるような魔法がかけられたら少しは気がまぎれたかもしれないな。
何がその人にとって魔法になりうるか。
誰でも一つは、自分が退屈しないための種を見つけられたら良さそうだ。
私も退屈している父に、何か小さな種を探すことにしてみよう。

[BOOK LIST]

幸福論/アラン(日経BP社)
哲学者のアラン(1868-1951)が新聞に連載していた「幸福についての語録」が『幸福論』です。
幸福論の翻訳にもいろいろありますが、個人的には、日経BP社から出ているこの本が、読みやすくて、ペーパーバックのような装丁と平山昌尚さんのイラストののびのびした感じもあって好きです。
『不運に出くわしたら、上機嫌にふるまおう』という言葉も好きですが、全編通して感じられるマイペースなポジティブ感が良いです。そんな風にやり過ごせたら、なんとなく嫌なことも寄り付いて来なくなるかもしれません。
手にとってパラパラめくり、気になったページから読むのがおすすめです。