orbeは、山梨のワイナリー「ボーペイサージュ」を訪れることで生まれました。resonance musicのコンピレーションアルバム『Waltz for BEAU PAYSAGE』の楽曲制作を経て、studio camel houseを主催する玄くん(ふだん呼んでるように呼称します)のスタジオでボーカルにLucaさん、フィドルでmaikaさんを迎え「orbe 0」という小さなアルバムが完成します。その後も『Nujabes PRAY Reflections』をMaikaさんを加えた3人のセッションで作り上げ、満を持してファースト・フル・アルバム『orbe I』が完成します。
時を同じくして、orbeのアルバム制作に参加していたmaikaさんも、自身のヴォーカル、ピアノ、フィドルやヴィオラなどを軸に、抽象的かつ風景の中を漂うような音を生み出す「Meadow」を始動させます。maikaさんも玄くんのスタジオでアルバムを制作。
それぞれの1stアルバムへ交互に参加しながら完成した2つの新作。生まれ落ちた作品を携え、少し早い初夏の風と共に3人の旅「遠い声」TOURが始まりました。
岡山、尾道、神戸、高知を経て、東は山梨の「sundaysfood」へ。
sundaysfoodは、2度の移転を経て北杜市高根町で2021年に再始動。長く資材置き場として使われていた小屋をお店へと改装しました。ここは「八ヶ岳の入り口で食や音楽の文化的交流のハブになるような場所を作りたい」という店主の大給さんの想いを形にした場所。この場所が完成した初営業の日には、harukaさんが店内に置かれたピアノを演奏してその音色を聴きながら食事をするという贅沢な日に。
そのきっかけは、大給さんが甲府でお店を営んでいた頃に、玄くんのスタジオに滞在していたharukaさんが料理やワイン、そして大給さんの人柄に共感し、足繁くお店に通うようになったことから始まりました。
料理と音楽は、お互いの良さを分かち合う。それを表すかのように、表現は違えど同じ思想を持った2人がたくさんの会話や乾杯の中から見出したものは、敢えて言葉にするなら“友情”というかけがえのないものではないでしょうか。
ツアーでは、TKCさんがそれぞれの会場で美しい映像やスチールを撮影をしてくれています。
ぼくは山梨での演奏の縁を、さらにこの先に繋げるための記録として(今ここで書いているような)お手伝いをさせてもらいました。
山梨各地や長野の近い地域からも知っている顔がちらほら。お客さんたちもこの日を楽しみにしていたようで、自然とテーブルを挟んで会話が生まれているように見えました。
演奏の時間が近づくと、皆で店内の椅子やテーブルを移動して演者を待ちます。
しばらくして、すぐ上にあるギャラリートラックスで準備をしていたメンバーがリラックスした表情で登場です。
ぼく自身、ライブを撮影することがとりわけ多いわけではないのですが、撮らせてもらう時はそれぞれの場所で、その日しか居合わせない人たちの刹那の場の空気をしっかりと写すことをいつも心がけています。
一人のお客さんとして、空間で鳴っている音楽もしっかりと受け止めて。
そして音を鳴らすスピーカーはlistude。sundaysfoodにも常設してあり、この遠い声のツアーではPAとしても参加しています。
ていねいに手作りされたスピーカーから音が空間に優しく漂います。
6月の爽やかな風が、時折すっと会場に入り込むように吹いていました。
風も音楽も料理の味も人の想いも目には見えない、数値化できないもの。見えないからこそ感じる力がとても大事になってくる、と最近よく思います。ここ数年、滞っていた使っていない感覚が、さまざまな音楽を吸収することで目覚めていくような。
そうやって循環の輪が広がっていく。
演奏の後は、スイーツタイム。コーヒーとチーズケーキを添えて演奏の余韻を楽しみました。
山梨に音楽を通して還ってきたorbe。
彼らのツアーはまだまだ続き、そしてこの山梨でのストーリーは11月の北杜市高根町にあるやまびこホールへと紡がれます。
詳しいイントロダクションはまた後ほど発表されますが、あの素晴らしいホールでどんな音が鳴るのかを考えると今からとてもワクワクします。
その時まで、それぞれの旅は続いていきます。
そして最後に極めて個人的な話なのですが、とても自分にとって印象に残る出来事があったのでせっかくなので書き残しておこうと思います。
ぼくはこの日も写真を撮っていたわけですが、そもそも写真を撮り続るきっかけになった1冊の写真集があります。
それは遡ること約20年前に刊行された川内倫子さんの写真集「うたたね」です。
川内さんが日常を切り取った透明感があるのに力強い写真たちに、フィルムカメラを持ち出したばかりの僕はとても心を揺さぶられました。ご自身で編集されたであろうページをめくる悦びにあふれた写真集は、作者の編集意図が付随されて何か隠された意味があるのではないかと勘ぐり、何回も何回もページをめくったことを覚えています。
川内さんが使っているカメラがローライフレックスという二眼レフカメラということを知り、素早く影響されたぼくはそのカメラを中古で買うに至りました。たしか中野のフジヤカメラにて。
もらいもののフィルムカメラを使っていてまだ稼ぎも安定していない当時のぼくにとって、いきなり中古でも数十万円のカメラを買うという選択に、ひたすら悩んだ記憶があります。
ローライフレックスを手に入れてからは、カメラをぶらさげ街にでかけて写真を撮る、人のスナップを撮る。とにかく写真を撮ることがとても楽しかったんだと思います。そんなローライフレックスとの日々が、写真を撮り続けているという現在に繋がっていることは間違いありません。
そんな写真を撮り続けるきっかけになった川内さんが、この日ぼくの目の前にあらわれました(唐突な言い方ですが、つまり演奏会にいらっしゃっていました)。自己紹介させてもらう機会があったのですが、緊張しすぎてちゃんと名前を言えたかもわからない、、いやたぶんどもりながら言ったかな。なにか一瞬で前述した想いが頭に巡って(これ本当に)、一瞬意識が現在から遠のいたような。
憧れという言い方は違うのですが、特別な存在であったことは間違いないようです。そしてそんな自分にとって特別な巡り合わせの日に、変わらず写真を撮っていたことがとても嬉しかったのです。
川内さんにお会いした時に込み上げた言葉がずっと宙に浮いたままだったので、せっかくなのでこの記録の最後の言葉として。
「ほんとうに、ありがとうございます」