凡そ日記_2021.7月

2021. 7.2

今日は葡萄の仕事だったのだけれど、大雨で2時間で終わることになった。葡萄も後1週間くらいでひとまず繁忙期は終わる。この数ヶ月で一通りの作業ができたのは本当に貴重な体験だった。

夕方頃ちょっとしたきっかけがあり、ゆうきさんと電話をした。なんと言葉にしたら良いのかわからないのだけれど、僕は、電話の間、「今自分は生きているんだ!」ということを強く実感することがあった。これはすごい。絶望だらけだった将来が一転、楽しみで仕方なくなってしまったのだ。お互いのおすすめの本を送り合うことになった。僕は木村さんの「奇跡のリンゴ」を。ゆうきさんからはどんな本が届くのだろう。この純度の高い新鮮な気持ちを冷めないうちに何処かに閉じ込めてあげないと、そう思った。

自分が不安に感じていたことや、生活のどこかに物足りなさを感じていたのがどうしてかわかった。

ゆうきさんとお互いの現状を話し、ぼくは、自分のことを誰かに話したかったのだという、ごく普通の感覚を自分が持っていたことに気づいたのだ。それも、ぼくが信頼している人たちに。そういったことを、僕はここ半年くらいの間何もしていなかった。いや、正確にはできていなかった。だからいま、僕の心はとてもワクワクしていて明るい。僕にはやはり友人が必要だった。

思えばぼくは、これまでの人生において楽しいと思う方しか選択してこなかった。ただその一瞬間のために努力をしてきた。一瞬が終わってしまうと、ぼくはもう抜け殻になってしまった。けれども、人生なんてそんなものじゃないか。初めて自転車の補助輪を外して数メートル走ったあの瞬間をぼくはとてもよく記憶しているのだし

2021. 7.3

今日は父と兄の彼女とお出かけをした。

夏芽が家に泊まった。彼女が寝ている姿をみていると、心の常に緊張しているどこかの部分がパッと離れていくような感じがする

2021. 7.4

先ほど「何が私を駆り立てたのか」のnoteの更新があって、ゆうきさんの数年前から現在までの物語全てを読み終えた。僕はこの数年間の彼の物語を読んで、言葉にならない苦しみを覚えた。4ヶ月ほど一緒に住んだゆうきさんのことを、僕はちっとも知らなかった。そんなことはどうでも良いのだけれど、言葉によって、初めてゆうきさんを知った、という曖昧な感覚だけが今は強く残っている。とてつもない重量だった。

「人と混ざりたい」それだけが私を駆り立てているのだから。ゆうきさんは最後にこう言った。その言葉の意味を今日は考える

https://note.com/yukiishida/n/n6945e2837d64

かぐや姫の「そんな人違い」を聴いている。この曲を聴くときまってなつやさんのことを思い出す

2021. 7.7

何もする気が起きない。家にいてダラダラ過ごす日々が二日ほど続いている

2021. 7.8

古物商の資格を取る決意をした。古物商を取ろうと思った理由というのも、先月自分の持ち物を手放した際に「物の価値」というものについて考える機会があったからだ。

古物商を持っていれば買取もできるようになるし、人が集まる場所を作るきっかけになるかもしれない。最近人が集まる場所について考えることがある

午後、警察署に行って書類をもらい、役所に行って住民票、身分証明書をもらってきた。

2021. 7.10

今週はあっという間に過ぎてしまった。夏芽は明後日、就職試験の面接があるらしい

2021. 7.11

今日、空を見上げてみると8月の雲だった

あんなにはっきりしてしまうものなんだなと思った

夏芽が面接を終えたらしい。11時30分頃、夏芽から電話があり、今から会えないかという。僕は農作業をしていたが急用があったことにして午前中で作業を終え帰宅した。シャワーを浴び、さて何を着ようかと思う。夏芽はスーツを着ているはずだから僕はシャツでも着ていった方がいいだろうかと考えたりする。そうこうしているうちに約束の時間が近づいてきて、結局僕はTシャツにストライプのパンツ、雪駄を履いて急いで家を出た。

2021. 7.12

誰かに対しての言い訳って、自分の本音を思い出させてくれるものだったりする

2021. 7.14

今日は母の取引先の愛知県東海市にある自然食品店に手伝いで行くことに。母のお店をいつも手伝ってくれている「風の又三郎」のようなお兄さんの運転でだ。

行きの車の中で僕は約20万円ほどのカメラをネットで購入した。結構勇気のいる選択だったがこれでようやくやりたいことが前に進むと思うと安心できた。

車の中では風の又三郎兄さんがジョーカーをみている。時々大きすぎる笑い声とか銃声が聞こえて来て、うるさい。この間買ったAirPodsProを装着し、少し安心する。最近はandymoriをよく聴いている。高校の頃を思いだしたりしながら時々窓の外をみる。

2021. 7.18

この間買った新しいカメラ(RX1RII)が届いて夏芽をパシャリ。撮ったデータを少し大きな画面で見る。デジタルで初めて感動した瞬間だった。

2021. 7.19

動機は不純かもしれないけれど、君への為とかいう少し大切な気持ちがわかった気がした。

21歳の君へ、ぴったりだと思うんだ。

お金がなかった。君を喜ばせられないと思った。自分自身への苛立ちが君への苛立ちへと変わってしまったのかもしれない。

けれども僕が君へ渡したいもの、君を祝いたい気持ちって何だろう、考える

俺も歳をとった。本当に歳をとったのだ

島崎智子のうたをはじめて聴いたがなんて良い歌だろうかと思った。まだまだ僕の知らない歌は沢山あるんだろうな

ひと月前に書いた日記を読んでくれた何人かから感想をもらった。僕の文章でも誰かに少しくらい影響を与えることができるのだったら、こんなに幸せなことはないと思った。

なつやさんとゆうきさんと久しぶりに再会する時を想像する。そうか、一年も会っていなかったんだな。

充実した。幸福だった。小さなモヤモヤたちはもう頭の中にはいなかった。

こんなに単純なことだったりする。「人との繋がり」はすごい。人は人のせいで孤独になるが、人のお陰で孤独から抜け出すこともできる。それがどのくらいの持続性を持つかなんて、とても考えられない。生活をするんだ。僕は生活をするんだ

2021. 7.21

点滴のすすめ

今日は1日農作業をしてきた。仕事帰りの運転中、対向車のナンバープレートがぼやけていることに気づく。 家に着いた途端、激しい頭痛と吐き気に襲われ胃の中にあるもの全てを

吐き出した。確か今日は山梨が全国最高気温を記録したらしく、熱中症だったのかなあと思う。数時間水分を摂ったり吐いたりを繰り返し、それでも良くならず病院にいくことになった。

点滴を打つことになって誰もいないだだっ広い部屋に連れて行かれた、患者は僕一人だった。点滴の間、部屋のあまりの静けさに、今流れている時間の感覚がまるでわからなくなってしまった。目を瞑ったり、毛布を顔にかけたりして気分を紛らわせる。それでもあるのは静寂。

ふと、ゆうきさんやなつやさんたちのことを想像した。もう、今では良く覚えていないのだけれど、その時間に考えられたことはとても美しいことだったように思う。ある種、瞑想状態に近い感覚だったのだろう

また、僕が尊敬する人の特徴、共通点や引っ越しのメリット、デメリットについても少し考えたりした。

2021. 7.22

今日は一日中桜と遊び、夕方にあった予定を無視し、キャンプに参加した。

今晩の感覚はきっと忘れることのできないものなんだろうな。

毎日の数々の選択は、偶然ではなく必然だろう。自分が生まれてきたことを嘆いている暇があったら自分の生まれてきた意味や使命(こんな言葉を使うとちょっとびっくりしちゃうよね)について考えた方が賢明だと思った。

色々なことが腑に落ちた。?考え直し、また腑に落ちた

僕だってこんなに恵まれた環境にいるけれども、知らないことや目に見えないことは怖いし、信じられないこともあったりした。

ただ、ほんの少し、目に見えることのない世界のことを信頼することができるようになった。

そうして僕は、僕であることを選んだのだから、それだけで幸福なんだなと思った。

考えてみれば当たり前のことでもある。僕たちが生きている社会の常識や価値観なんてぶっちゃけうるさい。死後の世界や前世の記憶なんて、一体誰が何と証明できるだろう?

「例えばその世界に触れることのない人たち、触れることはできたとしても関心を持たない人たち、触れながら共に生きていく人たち。」

まだまだわからないことばかりの世の中である

2021. 7.23

さすがにまずいと思って夏芽の誕生日のことを考える。考えようとしても考えられない。 おそらく考えようとしていないのだ。点滴の時のことを思い出して、部屋を真っ暗、ちょっと瞑想状態に入る。僕と夏芽の関係を考える。夏芽が喜んでいる姿を想像する。夏芽に似合うものを考えたりする。そうこうしていると夏芽が喜んでいる姿って結構簡単に見つかったりする。夏芽は僕がするどんなくだらないことでも笑ってくれることを思い出したりする。考えついたいくつもの中から、 特別なもの、僕にしかできないことを考える(僕と夏との関係から生まれたものとか) 僕は割に完璧主義なのかもしれない。だからこそ中途半端なことは何もできないし、そうと分かった途端すべて投げ出したくなってしまう。7月に入ってから何かできそうで、何かしたくて何もできていなかった時間のことを想像した。自分は本当にバカだなあと思った。僕がしてあげたいことを、 僕自身を満足させるためでなく、夏芽の為に考えてあげたら良かった。

けれどもこれだけ情報が溢れてる世の中で、純粋なあなたのためというのは結構難しかったりする。例えば僕がプレゼントをあげたら夏芽は嬉しくて写真をとるだろう。それを SNS にアップするかもしれない。誰のことを言うんではないけれど、よく SNS で恋人たちがブランドものの化粧品やアクセサリーだったりをプレゼントしあっているのを見たりする。 正直どうでもいいのだが、実際、僕も「そういったこと」を気にしているのかもしれない。そういったことを、 自分の中で処理はできないのだ。

だから、 夏芽が喜んでくれる。それでいいじゃない

2021. 7.24

アルバイトの経験って結構大事だったりするのかな。僕は普通だと思っていることでも結構褒められたりする。こっ恥ずかしいから環境のおかげだと言う。本当は自分でも身につけたものなのにね。世の中の大抵の仕事がくだらないものだと思う。そしてそのくだらないものに僕は毎日とても感謝している。

日記を書こうとしたら夏芽から電話が来た。 彼女の声を聞いた途端、不思議な安心感に包まれた。最後に会ったのは5日ぐらい前か、そう遠い日でもないのに随分と前のことのように感じていたのだなと思った。 

深沢七郎の「人間滅亡的人生案内」を読んでいる。僕は深沢七郎を好きなのは、おそらく僕とは真反対と言っていいほど、僕からは遠い感覚の持ち主だったからだろう。

僕は彼に憧れるのだ。彼の文章を読むために「ほほー」と思う。時々納得はするが、毎度驚いている。こんなふうに考えられたらどんなに楽だと思う。彼の感覚を丸ごと取り込みたいとも思う。 読んでいるうちに自分も彼のようになってきているのだと思い込んだりする。 現実世界、彼が僕を見たらきっと鼻で笑うんだろうな。でもその限りなきニヒリズムの中に僕が持たなければならない要素もたくさんある。僕は人をバカにしたりはしないから、 彼の事もバカにしない。本を読むことは、他人を理解するためだと拓海さんが言ったことを時々思い出す。 人かあと思う。僕は一体何を理解したいんだろう、何をわかろうとしているんだろう。

これまで様々な大人を見てきて、何度ため息をついたろう。時々かわいそうだ、哀れだなと思う人もいた。 しかし、気づいたら僕もそう思われているのかもしれない。繊細な子や鋭い目つきをした子なんかに会うと自分を見透かされてるようで怖い。年上の人とばかり関わってきた。 面白いと思う人たちはいつも僕より年齢が上だったが、失望した数々の大人達も、いつも僕より年上の人達だった。 そんなところに抱えきれない思いがある。俺は、いつも子供だった 

2021. 7.25

怪しいという言葉の怪しさよ

2021. 7.26

夏芽の誕生日プレゼントを買った。喜んでくれるだろうか、プレゼントとは相手の為と言いつつも一方的に自分のあげたいものをあげるだけで、結局本当にそれで良いのかわからなくなったりする。30日は夏芽の誕生日で横浜へ行くのだが、夕食の予約も取ることができてホッとしている。横浜で一泊、31日は鎌倉を散策する予定だ。

あとほんの2、3日で夏芽は本当に21歳になるんだなあ

2021. 7.30

夏芽、21歳の誕生日だった。車の中で向日葵を渡したあの瞬間は結構緊張した。横浜には二時間かからないくらいであっという間に着いた。些細な言葉のすれ違いで、喧嘩をした。夏芽とどう口をきいたらいいのかわからなくなってしまった。そのまま最初の目的地の水族館に着いた。お互い、どうしたらいいのかわからない。数分経って、夏芽は先に車を出た。すぐに戻ってくるだろうと思ったがなかなか帰ってこない。追いかけるべきだろうか?先程の言動や自分の感情を振り返ったり反省しながら、どこで間違えたのだろうかと考える。結局僕は夏芽を追いかけて外へ飛び出した。夏芽の姿は近くには見当たらず、僕は水族館のチケット売り場の横に腰掛けた。まだ腹の底がスッキリしていない。近くに海が見える。「夏芽と海でもみながら少し話をしよう」2、3分経った後だろうか。夏芽がこちらへ歩いてくるのが見える。少し身構える。「もう一人で海楽しんで来ちゃったもんね」「そうなんだ」「私先に行っているよ」夏芽は一人でチケット売り場の方へ歩いていく。何も言えず、僕は立ち上がり、一人で海の方へ歩く。言葉にならない感情がふつふつと湧いてくるのがわかる。もう、いいよ。心の声がそう言っている。いいやだめだ。もう一度夏芽と話してみよう。歩いてきた道を急いで戻りチケット売り場へ急いだ。僕は崩れ落ちた。チケットを買いに並んでいる幾人かのなかに、もう夏芽の姿はなかった。

この時の感情を言葉で表そうと思ってもとてもできない。ただ一つ言えることが、あるとすれば「君は、僕のことなんて関係なしにどこへでも行ってしまうんだなあ」ということだった。僕は何度も待ち、その度、君は何度も行ってしまった。

この話は僕の主観で殆どを書いているし記憶を辿って書いているものだからどこまで正しく書けているかはわからない。それに「その時、夏芽の感じていたこと」についてここに書かないことについては本当に申し訳なく思う。ただ、この時の僕の感情。その瞬間、完全に失われてしまった「ある一つの感情」のことを忘れたくなく、ここに残した。

この後僕ら二人は少々険悪な雰囲気の中を過ごすことにはなるのだが、しばらくしてお互い話し合うことができ、納得のいく答えを二人で出すことができた。

午後17時以降の僕らは完璧だった。まず予約していたホテルにチェックイン、眺めは最高。夜ご飯は夏芽のお祝いでちょっと背伸びをして日本料理屋へ、夕食後は二人カメラを持ってホテルの周りを散歩。お酒と少しのおつまみを買ってホテルへ。

日が変わる前に用意していたプレゼントも渡すことができた。夏芽はとても喜んでくれた。

最後に20歳の夏芽一年分の動画を編集したものを一緒に見ることもできた。ゲラゲラ笑いながら嬉しそうにみてくれた。

大切な人が嬉しそうに笑うの(風景)は、無条件でそれだけで僕を幸せにしてくれるものだなと思った。

2021. 7.31

今日は鎌倉で1日を過ごした。高徳院でのお気に入りの一枚を

馬渕尭也

Author 馬渕尭也

2001年生まれ。山梨市出身。高校時代から周囲の人たちのありのままの姿や風景をフィルムカメラで撮っている。 高校卒業後台湾へ留学。帰国後の現在は、農業をしたり、地域の読書会に参加したりと、様々な場所をウロウロしながら生活というものを日々模索している。好きな作家は深沢七郎 Facebook / Instagram

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